人物

フランシス・ドレーク

Francis Drake
AD1540年頃 – AD1596年1月28日(享年56・推定)
イングランド王国重要度 4

概要

デヴォンの農家の子で、奴隷貿易から始めた。スペインの財宝船を襲い、世界を回り、カディスで「スペイン王の髭を焦がし」、アルマダで副司令官。スペインでは「エル・ドラケ」、竜。パナマ沖で赤痢で死に、鉛の棺で海に沈められた。

関わったできごと(1)

ドレークの世界周航AD1580年9月26日 · 船長

本文

フランシス・ドレークは1540年ごろ、イングランド南西部デヴォンのタヴィストックで、農民の家の長男として生まれた。父エドマンドは熱心なプロテスタントで、のちに説教師になった。1549年、新しい英語の祈祷書に反対するカトリックの農民たちの反乱が西部で起きると、一家は故郷を追われ、東のケントへ移った。メドウェイ川に浮かぶ古い船の船体に住んだと伝えられる。少年のドレークは、沿岸を行き来する小さな船の主人に奉公して船乗りの腕を覚え、主人が亡くなるときにその船を譲られたという。

青年になったドレークは、プリマスの船主ホーキンズ家の親類として、その航海に加わった。ジョン・ホーキンズは、西アフリカで人々を捕らえ、スペイン領のカリブ海の植民地へ奴隷として売る商売を始めたイングランド人である(大西洋奴隷貿易)。1568年、メキシコのサン・フアン・デ・ウルアの港で、ホーキンズの船団は休戦の約束を破ったスペインの艦隊に襲われ、多くの船と仲間を失った。ドレークは小さな船で逃げ帰り、ホーキンズを見捨てたと非難された。このときの体験が、生涯にわたるスペインへの敵意の源になったと言われる。

大西洋奴隷貿易に関わる図版:Slave Auction Ad
大西洋奴隷貿易Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

1572年、ドレークはわずかな手勢でパナマ地峡のスペインの港を襲った。翌年、スペインの支配から逃れた元奴隷の人々、シマロンと手を結び、地峡を越えて運ばれる銀の輸送隊を待ち伏せた。このとき、地峡の山の高い木に登って初めて太平洋を見たドレークは、いつかイングランドの船であの海を航海させてほしいと神に祈ったと伝えられる。銀を奪ってプリマスに戻った日は日曜日で、知らせを聞いた人々が礼拝の途中で教会を飛び出したという。

祈りは、1577年から80年の航海でかなえられた。ドレークは南アメリカの南端を回って太平洋に入り、スペインの港や財宝船を次々に襲い、そのまま西へ進んで世界を一周して帰った(ドレークの世界周航)。マゼランの船団(世界一周の達成)に次ぐ二度目の世界一周で、船長が生きて帰った最初の例である。持ち帰った財宝は莫大で、出資者の女王エリザベス1世は、翌年、テムズ川に浮かぶドレークの船の甲板の上で、彼に騎士の位を授けた。

世界一周の達成に関わる図版:Detail from a map of Ortelius - Magellan's ship Victoria
世界一周の達成Wikimedia Commons Abraham Ortelius · Public domain

スペインとの対立が深まると、ドレークは女王の海の戦いの先頭に立った。1585年にはカリブ海のスペインの町々を荒らし、1587年には、イングランドへの侵攻の準備が進むスペインのカディスの港に突入して、数十隻の船と物資を焼き払った。スペイン王の髭を焦がしてやった、と彼はうそぶいた。この奇襲で、スペインの無敵艦隊の出発は1年遅れたとされる。1588年、ついに無敵艦隊がやって来ると(アルマダの海戦)、ドレークは総司令官ハワードのもとで副司令官を務めた。敵の接近の知らせを受けたとき、プリマスの丘で球転がしの遊びをしていて、勝負を終えてからでも間に合うと言ったという有名な話は、150年ほど後になって活字に現れたもので、真偽は分からない。夜の追跡の最中に船団の先導の灯を消して持ち場を離れ、はぐれたスペインの船を捕らえて財宝を手にした、という行動も記録に残る。

ドレークの栄光は、そこで翳った。1589年、スペインに逆襲するためポルトガルのリスボンへ向かった遠征は惨めな失敗に終わり、病と戦いで多くの兵が死んだ。女王の信頼を失ったドレークは、数年を陸で過ごした。プリマスの町のために、遠くの川から水を引く水路を造らせたのは、このころである。1595年、ホーキンズとともに再びカリブ海へ向かったが、スペインの守りは固く、遠征はうまくいかなかった。ホーキンズは航海の途中で病死し、ドレークも1596年1月、パナマのポルトベロの沖で赤痢に倒れた。死の床で鎧を着せてくれと求めたと伝えられる。遺体は鉛の棺に納められて海に沈められ、その棺はいまも見つかっていない。

フランシス・ドレーク(1591年)
フランシス・ドレーク(1591年)Wikimedia Commons Marcus Gheeraerts the Younger · Public domain

スペインの人々は彼を「竜」を意味するエル・ドラケと呼んで恐れた。イングランドにとっては国を救った英雄であり、スペインにとっては海賊だった。彼の故郷の館に残る太鼓は、イングランドが危機に陥ったとき、打てば彼が戻ってくるという伝説を生んだ。一方で、奴隷貿易に関わった過去も、いまでは忘れられていない。2020年、プリマスに立つ彼の像の前では、その過去を問う声が上がった。英雄と略奪者、探検家と奴隷商人。ドレークの生涯は、そのどれでもあった。

動画(1)

ドレーク(Histora Mundi の世界人物史)Historia Mundi ムンディ先生人物を一人ずつ語る「世界人物史」の回(ドレーク)
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD1540年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります歴史データベースとは? →