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Event / できごと

マルセイユのペスト

Great Plague of Marseille
AD1720年
重要度 3

概要

レバノンから来た船が検疫を短縮された。商人が絹を早く売りたかった。2年で街の半分、5万人が死んだ。周りの州は壁を築いて閉じ込め、越えた者は死刑。西ヨーロッパで最後の大きなペスト。壁はいまも山の中に残っている。

場所

マルセイユ
43.30°N 5.37°E · フランス

本文

1720年5月25日。グラン・サン・タントワーヌ号。 レバノンのシドンから。絹と綿。乗客が途中で死んでいた。 リヴォルノで検疫を拒まれ、マルセイユへ。 マルセイユには検疫所があった。1世紀前から。 船は隔離された。荷も。 市の助役の一人が荷主だった。ボーケールの市が7月。絹を売りたかった。 検疫が短くされた。荷が出た。 6月、港の近くで死者。7月、街の中。 8月、1日に1000人。 死体が通りに。誰も運ばない。ガレー船の囚人を使った。囚人も死んだ。 ベルサンス司教は残った。医者が逃げる中で病人を回った。 モンチ市長、エストレル騎士。 1720年から1722年。マルセイユ9万人のうち4万から5万。プロヴァンス全体で10万。 議会は死刑をもって出入りを禁じた。 「ペストの壁」。ヴォクリューズ。27キロ。石。1721年。教皇領のアヴィニョンが自分を守るために建てた。フランスの兵が守った。 いまも山の中に、崩れた壁が続いている。

西ヨーロッパで最後の大きなペスト。 1665年のロンドンの55年後。 なぜ止まったか。検疫。ネズミの種類が変わった。分からない。 2016年、遺伝子。1720年の菌は黒死病の菌の子孫で、ヨーロッパの中に残っていた系統。レバノンから来たものではなかったかもしれない。 船が持ってきたのか、街の中にいたのか。 それでも人は、船の絹を早く売ったことを300年覚えている。 ミシェル・セールが描いた「ラ・トゥーレット通り」。死体と、司教と、囚人。マルセイユの美術館にある。

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