概要
南海会社は国債を引き受けて、スペイン領アメリカとの貿易の独占を約束された。貿易はほとんどなかった。株は1月の128ポンドから8月に1000ポンド。「誰も知らない事業のための会社」まで生まれた。9月に崩れた。ニュートンが2万ポンド失った。「天体の動きは計算できるが、人の狂気は計算できない」。大臣が獄に入り、ウォルポールが収拾して、最初の首相になった。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
関わった人(1)
アイザック・ニュートンAD1643年–AD1727年 · 失った本文
1711年、トーリー党の財務卿ハーリーが南海会社を作った。900万ポンドの国債(スペイン継承戦争の借金)を株に変えて、代わりに、南海(南米)との貿易の独占権。1713年、ユトレヒト条約で、スペインはアシエント(奴隷貿易の独占)と、年1隻の商船を認めた。貿易は少なかった(1717年から1718年、スペインと戦争でゼロ)。会社の本当の商売は、国債と株の操作だった。
1719年、フランスでジョン・ローのミシシッピ会社が株で沸いていた(1720年5月に崩れる)。南海会社は1720年1月、残りの国債3100万ポンド全部を引き受ける案を出した。国債の持ち主は国債を南海株に換える。株の値段が上がれば、会社は少ない株で国債を引き受けて、残りを市場で売って儲かる。議員と大臣に、株を(金を払わずに)配った。「賄賂」。4月、議会が可決した。
株。1月128ポンド。2月175。3月330。5月550。6月890。6月24日、1050。
人々が買った。貴族、商人、召使い、地主、牧師、女。ニュートン(造幣局長)は4月に7000ポンドの利益で売り、上がり続けるのを見て、天井で買い直して、2万ポンド失った。「私は天体の運動を計算できるが、人々の狂気は計算できない」(と言った、と伝える)。
泡沫会社。「永久運動の車輪」「海水から真水を作る」「鉛を銀に変える」「人の毛髪の取引」「そして、莫大な利益を上げる事業。ただし何の事業かは誰も知らない」(1株2ギニーの申込金で、午前中に2000ポンド集めて、午後に消えた、と伝える。本当かは怪しい)。6月、泡沫会社法。国王の特許のない会社を禁じた。南海会社が競争相手を消すために通した。
7月から、下がり始めた。8月、ポルトガルとの戦争の噂、会社の重役が売っている噂。9月、崩れた。9月末、175ポンド。12月、124。「泡(バブル)」という言葉が、この年から金融の言葉になった。
破産、自殺。郵政長官の息子が自殺し、郵政長官が死んだ。ジョージ1世の愛人たち(ケンダル公爵夫人)も株をもらっていた。議会が調査した。財務担当の大臣エイズラビーがロンドン塔へ、重役たちの財産が没収された(会計係ナイトは帳簿を持ってアントワープへ逃げた)。ロバート・ウォルポール(ホイッグ、株で儲けて早めに売っていた)が「傷の隠蔽者(スクリーン・マスター・ジェネラル)」として収拾し、1721年、第一大蔵卿、事実上の最初の「首相」。21年。
南海会社は1750年代まで奴隷貿易を続け、1853年に解散した。会社の建物は消えた。ホガースが1721年に版画『南海の図式』を描いた。回転木馬に乗る人々、拷問される「正直」、「名誉」が「自己利益」に殴られている。