概要
イヴァン4世が15万と大砲150門でカザン・ハン国を囲み、坑道に火薬を詰めて城壁を吹き飛ばした。ジョチ・ウルスの後継の一つが消えた。モンゴルに支配された側が、モンゴルの後継国を併合した最初。ヴォルガが全部ロシアのものになり、東はシビル、ウラル、シベリアへ。赤の広場の聖ワシリイ大聖堂は、この勝利の記念に建てられた。
場所
55.80°N 49.11°E · ロシア・タタールスタン共和国
関わった人(1)
イヴァン4世(雷帝)AD1530年8月25日–AD1584年3月28日 · 攻めた本文
カザン・ハン国。1438年、ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)が割れてできた。ヴォルガの中流、カマ川との合流点。タタール人、チュヴァシ人、マリ人、ウドムルト人。毛皮と奴隷の市。モスクワの東の脅威で、モスクワの東への道の栓。1521年にはモスクワの城壁の前まで来た。
イヴァン4世は3度攻めた。1547年(大砲が氷の下に沈んだ)、1549〜50年(雪解けで撤退。帰りに、カザンの30キロ手前のスヴィヤガ川の口に目をつけた)。1551年、ウグリチの森で城の部材を切って、番号をつけて、筏でヴォルガを下し、4週間で組み立てた。スヴィヤシュスク。前線の要塞と補給の拠点。
1552年6月、15万(誇張だろう)と大砲150門で出た。8月、カザンを囲んだ。城壁は樫の丸太の二重で、中に3万。クリミア・ハンが背後を突きに来て、トゥーラで退けられた。
イギリス人の技師(あるいはリトアニアの、あるいはドイツの。史料は「ロズミュスル」=「知恵者」とだけ)が坑道を掘った。9月、城の水源(地下の泉へ通じる道)の下に11樽の火薬を置いて、吹き飛ばした。城の中は水がなくなった。10月1日、城壁の下に48樽。10月2日の朝、爆発。突撃。市街戦。夕方、落ちた。城の中の男は皆殺し、女と子供は捕虜。ハンのヤディガルは捕らえられて、洗礼を受けて、モスクワの貴族になった。
ヴォルガが全部ロシアのものになった。1556年、アストラハン。1582年、イェルマークがシビル・ハン国へ。それからシベリア、太平洋(1639年)、アラスカ(1741年)。
240年、モンゴル(ジョチ・ウルス)に貢いだ側が、その後継国を併合した。ロシアは、そこから「帝国」になった。多民族の。イヴァンは1552年から「カザンのツァーリ、アストラハンのツァーリ」を称号に加えた。
赤の広場の聖ワシリイ大聖堂(ポクロフスキー聖堂)。1555〜61年、カザン攻略の記念に建てられた。8つの礼拝堂が中央の塔を囲む。カザンが落ちた10月1日は聖母庇護(ポクロフ)の祝日だった。伝説では、イヴァンは建築家(ポストニクとバルマ)の目を潰して、二度と同じものを作れないようにした。作り話(ポストニクはその後もカザンで建築している)。