概要
1968年、集英社は、先に出ていた少年マガジンと少年サンデーを追って、月二回の漫画誌『少年ジャンプ』を創刊した。後発で有名な漫画家を集められなかったため、新人を育てて連載させる道を選ぶ。翌年には週刊になった。読者のはがきの人気の順位で連載を続けるかを決める、厳しい仕組みでも知られる。「友情・努力・勝利」を柱に、『ドラゴンボール』や『ONE PIECE』を生み、1995年には一号で653万部を売った。日本の漫画が世界に広がる道筋の、大きな一本になった。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
1959年、講談社の『週刊少年マガジン』と小学館の『週刊少年サンデー』が、同じ日に創刊された。1960年代の後半、漫画は子どもだけでなく学生の読み物にもなり、「右手にジャーナル、左手にマガジン」と言われた。集英社はこの二誌を追って、1968年、月二回の漫画誌『少年ジャンプ』を出した。
後から出た雑誌には、人気の漫画家が描いてくれない。そこで編集部は、新人を見つけて専属の契約を結び、育てることにした。永井豪の『ハレンチ学園』、本宮ひろ志の『男一匹ガキ大将』が当たり、1969年には週刊になる。読者に「友情」「努力」「勝利」のうちどれがいちばん心に残るかを尋ねた結果が、雑誌の柱になった。
読者はがきによる人気の順位で、連載を続けるか打ち切るかを決める。この厳しい仕組みは、描き手を追い込みもしたが、読者の反応に敏感な誌面を作った。1970年代から80年代にかけて、『ドラゴンボール』『北斗の拳』『キャプテン翼』『SLAM DUNK』が載り、1995年には一号で653万部を売って、日本の雑誌の最高の記録を作る。
ここから生まれた作品は、アニメになって海外で放送され、世界の子どもたちが日本の漫画を読む入口になった。『ONE PIECE』の単行本は、一人の作者による漫画の発行部数で世界一として記録されている。