概要
1983年7月15日、京都の任天堂は、家庭のテレビにつないで遊ぶゲーム機「ファミリーコンピュータ」を14800円で売り出した。花札とトランプの会社だった任天堂は、安い部品で性能を出す設計で、他社の機械より大幅に安くした。1985年の『スーパーマリオブラザーズ』は、世界で数千万本を売る。アメリカでは、質の悪いソフトがあふれて家庭用ゲームの市場が崩れたばかりだったが、任天堂は他社のソフトに審査を課して信頼を取り戻し、市場を立て直した。家庭でゲームをすることが、世界の子どもの日常になった。
場所
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
本文
任天堂は、1889年に京都で花札を作る店として始まった会社である。戦後はトランプを売り、1970年代からはおもちゃや業務用のゲームに手を広げた。1980年には、横井軍平が考えた携帯用の液晶ゲーム「ゲーム&ウオッチ」がよく売れた。
1983年7月15日、任天堂はテレビにつなぐ家庭用のゲーム機「ファミリーコンピュータ」を14800円で発売した。設計を率いたのは上村雅之である。社長の山内溥は、他社の機械の半分の値段で出すことにこだわり、半導体の会社と大量に買う約束をして部品の値を下げさせた。性能は業務用のゲームに近く、同じ遊びを家で楽しめた。
1985年に出た『スーパーマリオブラザーズ』は、宮本茂らが作った、横に長く続く世界を走って跳ぶゲームで、世界で4000万本を超える大ヒットになる。ファミコンは「ファミコン」と略されて、子どもたちの遊びの中心になった。新しいソフトの発売日には店に長い列ができた。
アメリカでは1983年の暮れ、質の悪いソフトが大量に出回って、家庭用ゲームの市場が崩れていた。任天堂は1985年、ファミコンを「ニンテンドー・エンターテインメント・システム」の名で売り出す。他社がソフトを出すには任天堂の審査を受けることを求め、ゲーム機を「玩具」ではなく「娯楽の機械」として売った。市場は立て直され、日本のゲームが世界を席巻する時代が始まった。