ベークライトと合成樹脂
概要
ベルギー生まれの化学者レオ・ベークランドが、フェノールとホルムアルデヒドを圧力鍋のような容器で反応させた。できたのは、熱で固まり、二度と溶けない樹脂である。天然にない、まったく新しい物質だった。電気を通さず、熱に強く、型に流せば何にでもなる。電話機、ラジオの筐体、電気の絶縁部品、玉突きの球、装身具。「千の用途を持つ素材」と宣伝された。以後、人類は、分解されない物質を作り続けることになる。
場所
40.93°N -73.90°E · アメリカ・ニューヨーク州
関わった人(1)
レオ・ベークランドAD1863年11月14日–AD1944年2月23日 · 作った本文
20世紀の初めまでにも、「プラスチック」と呼べそうな材料はあった。ただし、どれも天然の材料を加工したものだった。代表は1869年にアメリカのジョン・ウェズリー・ハイアットが作ったセルロイドである。きっかけは玉突きの球だった。
当時、球は象牙で作られていたが、象が減って値段が上がり、ニューヨークの球の製造業者が、象牙に代わる材料に1万ドルの賞金を出した。ハイアットは、綿火薬と同じニトロセルロースに樟脳を混ぜて軟らかく加工できる材料を作った。球の材料としては不十分で賞金は得られなかったが、セルロイドは櫛や襟、玩具、そして映画のフィルムに使われた。ただし非常に燃えやすく、20世紀の前半には映画館の火事の原因になった。

ほかにも、1839年にグッドイヤーが硫黄を加えて丈夫にしたゴムや、牛乳のたんぱく質から作ってボタンなどに使われた材料があった。そして、もう一つ大事なのがシェラックである。インドや東南アジアの木の枝にラックカイガラムシという虫が分泌する樹脂のような物質を集め、精製して作る。レコード盤の材料になり、電気を通さないので、電線やスイッチの絶縁にも使われた。
20世紀に入ると、電気は急速に暮らしに入り込んでいった。配線、スイッチ、ソケット、電話(ベルの電話)。電気を通さない材料が大量に必要になった。ところが、その多くを担っていたシェラックは、虫が出すものである。

1ポンドのシェラックを作るのに、1万5000匹ほどの虫が要るとされる。量には限りがあり、値段は上がり、質も一定しない。代わりになる材料が求められていた。
この問題に挑んだのが、レオ・ベークランドである。1863年、ベルギーのヘントに生まれた。父は読み書きのできない靴の修理職人で、息子も靴屋にするつもりで13歳で見習いに出した。家政婦として働いていた母が強く反対し、彼は夜学に通って学び続けた。そして21歳で、ヘント大学から最優等で化学の博士号を得た。1889年、新婚旅行でアメリカに渡り、そのまま住みついた。

アメリカでの最初の成功は、写真の印画紙だった。それまでの印画紙は日光に当てて焼きつける必要があり、曇りの日には仕事にならなかった。ベークランドが作った「ヴェロックス」は、ガス灯の光でも焼ける。暗室で、いつでも作業ができるのである。
1899年、彼はこの発明を、コダック社を率いるジョージ・イーストマンに売った。5万ドルを求めるつもりで部屋に入ったところ、イーストマンのほうから75万ドルでどうかと切り出された、という逸話がある。細部には脚色があるとされ、額も100万ドルという説があるが、いずれにしても彼の想像をはるかに超える大金だった。
ベークランドは、その金でニューヨーク郊外のヨンカーズの自宅に研究室を建て、次の課題に取り組んだ。フェノールとホルムアルデヒドという二つの物質の反応である。この反応そのものは、1872年にドイツのアドルフ・フォン・バイヤーが報告していた。だが反応は激しく、手に負えない。できるのは、もろくて、どんな溶剤にも溶けない厄介な塊だった。多くの化学者が、これを避けるべき副産物として扱っていた。
ベークランドは、その厄介な塊のほうを狙った。溶けないのなら、それはかえって優れた絶縁体になるかもしれない。鍵は、反応を思いどおりに進めることだった。彼は、熱と圧力を細かく調節できる、大きな圧力鍋のような容器を作り、「ベークライザー」と名づけた。
反応を段階に分け、途中で止め、型に入れてから熱と圧力をかけて固める。こうして1907年、彼は求めていた物質を手にし、その年の夏に特許を出願した。1909年2月、アメリカ化学会のニューヨーク支部で発表し、それを「ベークライト」と名づけた。
ベークライトは、熱を加えると固まり、一度固まると二度と溶けない。熱で軟らかくなるセルロイドとは逆の性質で、こうした樹脂は熱硬化性と呼ばれる。電気を通さず、熱にも、酸や溶剤にも強い。そして型に流し込めば、どんな形にでも、何千個でも同じものを作れた。しかも、それは自然界のどこにも無い、人間が完全に合成して作り出した最初の樹脂とされる。ベークランドは、その点をことさらに強調した。
会社はベークライトを「千の用途を持つ素材」と宣伝した。本来の狙いだった電気の部品、ソケットやスイッチや配電盤、自動車のエンジンの点火装置の部品。1930年代から50年代にかけての黒く重い電話機の姿は、ベークライトが決めた。ラジオの箱、カメラの本体、鍋の取っ手、ドアの取っ手、灰皿。半世紀前に象牙の代わりを求めて始まった玉突きの球も、ようやくこの材料で実現した。アール・デコの時代には、色をつけたベークライトの装身具が流行し、いまも収集家の間で人気がある。
ベークライトが開いたのは、天然には無い物質を、目的に合わせて設計して作れるという道だった。その道を、次々に新しい材料が通っていった。1930年代には、イギリスの大手化学会社で、高い圧力の実験から偶然ポリエチレンが生まれた。第二次世界大戦では、レーダーの電線を包む絶縁材として欠かせないものになり、軍の機密とされた。
アメリカのデュポン社では、ウォーレス・カロザースがナイロンを生み出した(ナイロン)。1940年5月にナイロンのストッキングが売り出されると、初日だけで400万足が売れたという。カロザース本人は、その3年前に自ら命を絶っていた。その後も、テフロン、ポリエステル、ポリプロピレンと、新しい材料が次々に生まれた。
その結果、世界のプラスチックの生産量は、1950年の200万トンから、2019年には4億6000万トンにまで増えた。2017年に発表された研究によれば、1950年から2015年までに作られたプラスチックは、合わせて83億トンにのぼる。そのうち再び使われたのは9%、燃やされたのは12%で、残りの79%は埋め立て地か、自然の環境の中にあるという。
プラスチックの多くは、自然の中ではほとんど分解されない。分解には数百年かかると見積もられ、しかも分解しきらずに、目に見えないほど小さなかけらになって残る。こうした細かいプラスチックは、いまでは深い海の底の泥からも、北極の氷からも、雨水からも、そして人の血液や胎盤からも見つかっている。溶けず、壊れず、長持ちする。ベークランドが求めた最大の長所が、そのまま最大の問題になったのである。ベークライトのような熱硬化性の樹脂は、一度固まると溶かして作り直すことができないので、そもそも再利用が難しい。
ベークランドは1939年、会社を大手の化学会社に売った。晩年は人づきあいを避けるようになり、フロリダの屋敷に引きこもって、缶詰ばかり食べていたと伝えられる。家族との仲もこじれた。1944年、80歳で亡くなった。1993年、アメリカ化学会は、ベークライトの開発を歴史的な化学の業績として顕彰し、記念の銘板を掲げた。
ベークライトの電話機やラジオは、いまでは骨董品として飾られている。だが、それが始めた合成の材料の時代は終わっていない。人類は、自然には分解されない物質を作り続け、その物質はいまも地球のあらゆる場所に積み重なっている。