概要
バルセロナのアヴィニョン通りの娼館の5人の女。顔がアフリカの仮面で、体が角ばって、遠近法がなく、正面と横顔が同時に。ピカソ26歳。友人に見せて、ブラックは「石油を飲まされたようだ」、マティスは怒った。9年、アトリエに丸めてあった。キュビスム。500年の遠近法の絵が、ここで終わった。ニューヨーク近代美術館。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
関わった人(1)
パブロ・ピカソAD1881年10月25日–AD1973年4月8日 · 描いた本文
1906年から1907年。ピカソは25歳、モンマルトルの「洗濯船」(バトー・ラヴォワール)。青の時代と薔薇色の時代を終えて、何かを探していた。ルーヴルでイベリアの彫刻(BC5世紀の頭)を見た(1907年、盗品を友人から買った)。トロカデロの民族誌博物館でアフリカの仮面を見た(「あの時、私は絵とは何かを理解した。悪魔祓いだ」)。セザンヌの『水浴図』(1906年、セザンヌが死んで回顧展)。マティスの『生きる喜び』(1906年)に競争心を持った。
下絵を16冊のスケッチブックに描いた。初め、娼館に水兵と、頭蓋骨を持った医学生が入ってくる場面だった。「罪の報い」。水兵と学生を消して、女5人だけにした。
縦244センチ、横234センチ。バルセロナのカレ・ダヴィニョ(アヴィニョン通り)の娼館。左の女はカーテンを開ける。中央の2人はイベリアの顔。右の2人はアフリカの仮面の顔で、しゃがんだ女は背中を向けながら顔をこちらに向けている(正面と背面が同時)。遠近法がない。空間が割れている。果物が手前に。
1907年7月、友人に見せた。ブラックは「石油を飲まされて、火を吐かされたようだ」。マティスは怒った(「絵画への侮辱」)。アポリネールは黙った。画商のカーンワイラーだけが理解した(と後で言った)。ピカソは丸めて、アトリエの隅に9年置いた。
1916年7月、サロン・ダンタンで初めて展示された。詩人アンドレ・サルモンが「アヴィニョンの娘たち」と題をつけた(ピカソは「アヴィニョンの娼館」と呼んでいた。娘たち、は上品にした)。1924年、ジャック・ドゥーセが2万5000フランで買った(ブルトンの勧め)。1939年、ニューヨーク近代美術館が2万8000ドルで買った。
ブラックは1908年、レスタックで風景を立方体で描いた。「小さな立方体(キューブ)」(マティスが言った、と伝える)。キュビスム。1909〜14年、ピカソとブラックが「山登りのザイルで結ばれた二人」(ブラック)のように。分析的キュビスム、コラージュ、総合的キュビスム。
ルネサンスの遠近法は「窓から見た世界」だった。『アヴィニョンの娘たち』は、見る人の目が動くことを絵の中に入れた。それから絵は、何をしてもよくなった。