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Event / できごと

第二回三頭政治の追放告示

Proscriptions of the Second Triumvirate
BC43年11月
重要度 5

概要

オクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥスがボノニアの川の島で会い、殺す者の名簿を作った。元老院議員300人、騎士2000人。キケロの名も。首と手が演壇に釘づけにされた。アントニウスの妻フルウィアが舌に簪を刺した。財産は三人と兵のものに。

場所

ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州

関わった人(4)

マルクス・アントニウスBC83年–BC30年 · 三頭アウグストゥスBC63年9月23日–14年8月19日 · 三頭レピドゥスBC89年頃–BC13年 · 三頭キケロBC106年1月3日–BC43年12月7日 · 殺された

本文

BC43年。 4月、ムティナ。アントニウスが負けた。二人の執政官が死んだ。 オクタウィアヌス。19歳。「執政官に」。元老院が拒んだ。 8月、兵を連れてローマへ。執政官。 アントニウスとレピドゥスがガリアで組んだ。 11月、ボノニア。レノ川の中州。 3日。 「レス・プブリカ・コンスティトゥエンダ(国家再建)のための三人委員」。5年。 「三頭」。 「プロスクリプティオ」。「公示」。 スッラが最初。BC82年。 「名簿」。 「17人」。すぐに。 「130人」。それから。「150人」。 「300人の元老院議員。2000人の騎士」。アッピアノス。 「首を持って来た者に、自由人なら10万セステルティウス、奴隷なら4万と自由」。 「隠した者は死刑」。 「財産は没収」。 「兵に土地を。18の都市」。 「ルキウス・カエサル」。アントニウスの叔父。「アントニウスが母に頼まれて外した」。 「パウルス」。レピドゥスの兄。 「キケロ」。 オクタウィアヌスは「2日、抵抗した」。 12月7日。フォルミアエ。「輿から首を出した」。ヘレンニウス。ポピリウス・ラエナス。「キケロが弁護した男」。 首と、『フィリッピカ』を書いた右手。 演壇。ロストラ。 フルウィア。「簪で舌を」。ディオ。 「彼女の夫クロディウスを、キケロが」。 「アッティクス」。生き延びた。アントニウスの妻を守ったから。 「ウェッレス」。追放されていた。「コリントスの銅器を渡さなかった」。 「多くの妻が夫を隠した。多くの息子が父を売った」。ウァレリウス・マクシムス。 「ある妻は、夫を、寝室の天井に」。「トゥリア」。 「奴隷が主人の服を着て、代わりに死んだ」。 金。 「BC42年、フィリッピの兵の金」。 「BC42年、女たちに税。ホルテンシア。フォルムで演説した。『我々は戦争に投票していない』。1400人から400人に減った」。 「三頭は、共和政を再建するために、共和政を殺した」。 「スッラは、5年で辞めた。三頭は、辞めなかった」。 「オクタウィアヌスは、40年後、『私は許した』と書いた。『レス・ゲスタエ』。『私は、戦った敵を、赦した』」。 「赦した」。 「殺した者の子孫は、書かなかった」。 セネカ。「彼は、慈悲深い皇帝になった。若い頃の血を、慈悲で洗った」。 「ボノニア」。 ボローニャ。 レノ川の中州。 どこか、分からない。

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