概要
スコットランド出身の劇作家ジェームズ・マシュー・バリーは、ロンドンのケンジントン公園で知り合った少年たちと遊ぶうちに、大人にならない少年の物語を作り上げた。1904年12月27日、ロンドンの劇場で劇『ピーター・パン』が初演された。ネバーランドに住み、空を飛ぶピーターが、ウェンディと弟たちを連れ出し、海賊フック船長と戦う。妖精ティンカー・ベルを救うため、観客の子どもたちに妖精を信じるなら拍手をと呼びかける場面は、劇場を沸かせた。バリーは1929年、この作品の権利を、ロンドンの子どものための病院に贈った。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
ジェームズ・マシュー・バリーは、1860年、スコットランドの織物職人の家に生まれた。6歳のとき、13歳の兄デイヴィッドがスケートの事故で死んだ。悲しみに沈む母を慰めようと、バリーは兄の服を着て、兄の口笛をまねた。母は、死んだ兄は永遠に少年のままだと言って自分を慰めたという。バリーはのちにロンドンで劇作家として成功した。
1897年ごろ、バリーは、ロンドンのケンジントン公園で犬を散歩させているうちに、ルウェリン・デイヴィズ家の幼い兄弟たちと知り合った。バリーは彼らと海賊ごっこやインディアンごっこをし、即興で物語を語った。その中から、赤ん坊のときに家を飛び出して、公園で妖精と暮らす少年の話が生まれた。
1904年12月27日、ロンドンのデューク・オブ・ヨーク劇場で、劇『ピーター・パン、あるいは大人になりたくない少年』が初演された。ピーターは、ダーリング家の子ども部屋の窓から飛び込み、ウェンディと弟たちに空の飛び方を教えて、ネバーランドへ連れていく。そこには、親とはぐれた迷子の少年たち、人魚、インディアン、そして片手を鉤の手にしたフック船長と海賊たちがいる。毒を飲んで死にかけた妖精ティンカー・ベルを救うため、ピーターが客席に向かって、妖精を信じる人は手をたたいてと呼びかけると、劇場の子どもたちは一斉に拍手した。
劇は大当たりし、毎年クリスマスの季節に上演されるようになった。1911年には、バリーは物語を小説『ピーターとウェンディ』として出した。ピーター・パンは、大人になることを拒み、永遠に子どものままでいようとする少年として、子ども時代そのものの象徴になった。ピーターの役は、伝統的に大人の女性が演じてきた。
バリーは、両親を亡くしたルウェリン・デイヴィズ家の兄弟たちの後見人となって育てた。1929年、バリーは、『ピーター・パン』の著作権を、ロンドンのグレート・オーモンド・ストリート病院に贈った。子どものための病院である。著作権の期限が切れたあとも、イギリスの法は、この病院が劇の上演などから使用料を受け取り続けることを特別に認めている。