概要
1814年、ノルウェーはデンマークからスウェーデンへ譲られ、自前の憲法と議会を持ったまま、スウェーデン王を王に戴く連合に入れられた。外交はスウェーデンが握り、海運国ノルウェーが自前の領事館を持つことも許されなかった。1905年6月7日、ノルウェーの議会は、スウェーデン王はもはや王として務めを果たしていないとして、連合の解消を宣言する。国民投票では解消への賛成が36万8千票、反対は184票だった。戦争にはならず、両国は交渉で別れ、ノルウェーはデンマークの王子を新しい王ホーコン7世に迎えた。
場所
59.91°N 10.75°E · ノルウェー
本文
1814年、ナポレオンの側に付いて負けたデンマークは、キール条約でノルウェーをスウェーデンに譲った。ノルウェーの人々はこれを受け入れず、その年の5月、アイツヴォルに集まって、当時のヨーロッパで最も民主的といわれた憲法を作った。スウェーデンは兵を送ったが、短い戦いのあと、ノルウェーが自前の憲法と議会を持つことを認め、そのかわりスウェーデン王がノルウェーの王を兼ねる形に落ち着いた。
19世紀のノルウェーは、海運で伸びた。世界でも指折りの商船の数を持ちながら、外交はストックホルムが握っていた。ノルウェーの議会は、自分たちの船と商人のために、外国の港に自前の領事を置きたいと求め続けた。王が議会の法案を退けることが重なると、不満は連合そのものへ向かった。
1905年、領事の法案を王オスカル2世が再び拒むと、ノルウェーの内閣は総辞職し、王は新しい内閣を作れなかった。6月7日、議会は、王が務めを果たせない以上、連合は解消されたと宣言する。8月の国民投票では、解消への賛成が36万8千票あまり、反対は184票だった。女性に選挙権は無かったが、女性たちは独自に署名を集め、二十数万人が解消を支持した。
スウェーデンには戦争を望む声もあったが、両国は国境の要塞を取り壊すことなどを取り決めて、平和のうちに別れた。北極の探検で名高いフリチョフ・ナンセンは、ロンドンなどで新しい国への支持を取り付けて回った。ノルウェーは王国のままでいることを選び、デンマークの王子カールが、国民投票で信任を受けたうえで、ホーコン7世として即位した。