← 地図で見る
Event / できごと

ノルウェーの独立

Dissolution of the union between Norway and Sweden
AD1905年6月7日
重要度 3
大英帝国ロシア帝国グリーンランドオスマン帝国ドイツ帝国アラビアポルトガル帝国ペルシアスウェーデン=ノルウェーオーストリア=ハンガリー帝国フランススペイングレートブリテン及びアイルランド連合王国アルジェリアモロッコイタリアルーマニアアイスランドチュニジアブルガリアギリシャデンマークセルビアボスニア・ヘルツェゴビナAD1905年6月7日オスロ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1905年6月7日の版図を描いています(24勢力)。

概要

1814年、ノルウェーはデンマークからスウェーデンへ譲られ、自前の憲法と議会を持ったまま、スウェーデン王を王に戴く連合に入れられた。外交はスウェーデンが握り、海運国ノルウェーが自前の領事館を持つことも許されなかった。1905年6月7日、ノルウェーの議会は、スウェーデン王はもはや王として務めを果たしていないとして、連合の解消を宣言する。国民投票では解消への賛成が36万8千票、反対は184票だった。戦争にはならず、両国は交渉で別れ、ノルウェーはデンマークの王子を新しい王ホーコン7世に迎えた。

場所

オスロ
59.91°N 10.75°E · ノルウェー

本文

1814年、ナポレオンの側に付いて負けたデンマークは、キール条約でノルウェーをスウェーデンに譲った。ノルウェーの人々はこれを受け入れず、その年の5月、アイツヴォルに集まって、当時のヨーロッパで最も民主的といわれた憲法を作った。スウェーデンは兵を送ったが、短い戦いのあと、ノルウェーが自前の憲法と議会を持つことを認め、そのかわりスウェーデン王がノルウェーの王を兼ねる形に落ち着いた。

19世紀のノルウェーは、海運で伸びた。世界でも指折りの商船の数を持ちながら、外交はストックホルムが握っていた。ノルウェーの議会は、自分たちの船と商人のために、外国の港に自前の領事を置きたいと求め続けた。王が議会の法案を退けることが重なると、不満は連合そのものへ向かった。

1905年、領事の法案を王オスカル2世が再び拒むと、ノルウェーの内閣は総辞職し、王は新しい内閣を作れなかった。6月7日、議会は、王が務めを果たせない以上、連合は解消されたと宣言する。8月の国民投票では、解消への賛成が36万8千票あまり、反対は184票だった。女性に選挙権は無かったが、女性たちは独自に署名を集め、二十数万人が解消を支持した。

スウェーデンには戦争を望む声もあったが、両国は国境の要塞を取り壊すことなどを取り決めて、平和のうちに別れた。北極の探検で名高いフリチョフ・ナンセンは、ロンドンなどで新しい国への支持を取り付けて回った。ノルウェーは王国のままでいることを選び、デンマークの王子カールが、国民投票で信任を受けたうえで、ホーコン7世として即位した。

同じ時代のできごと

インド国民会議の創立AD1885年砂場AD1885年最初の摩天楼AD1885年狂犬病のワクチンAD1885年7月6日安全型自転車の登場AD1885年内閣制度の創設AD1885年12月22日ビルマの併合AD1885年11月28日ハルツームの陥落AD1885年1月26日
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD1905年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります
20世紀以降のできごと一覧 →人物一覧 →
歴史データベースとは? →