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Event / できごと

北海大洪水

North Sea flood of 1953
AD1953年2月1日
重要度 3
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このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1953年2月1日の版図を描いています(39勢力)。

概要

1953年1月31日の夜から2月1日にかけて、北海を渡る強い嵐が大潮と重なり、海面が大きく盛り上がった。国土の多くが海面より低いオランダでは、南西部のゼーラント州を中心に堤防が何百か所も切れ、真夜中の村々に海が流れ込んだ。土曜の夜で、警報はほとんど届かなかった。オランダで1836人が死に、イギリスの東海岸でも三百人あまり、ベルギーでも死者が出た。オランダは、河口を堤防と水門で締め切る「デルタ計画」に乗り出し、40年あまりをかけて、一万年に一度の高潮に耐える守りを築いた。

場所

ゼーラント位置は特定されていない(誤差 ±40km)
51.50°N 3.85°E · オランダ・ゼーラント州

本文

オランダの国土のおよそ四分の一は、海面より低い。人々は何百年も、堤防を築き、風車で水をくみ出して、海と湖から土地を取ってきた。南西部のゼーラント州は、ライン川、マース川、スヘルデ川が海へ注ぐ河口の島々からなり、堤防に囲まれた低地に村が点在していた。

1953年1月31日の土曜、北海の北から強い嵐が南下した。北風は海水を北海の南の狭い端へ押しやり、それが満月の大潮と重なった。夜半、海面は普段の満潮より3メートル以上高く盛り上がった。戦争で傷んだまま直しきれていなかった堤防が、何百か所も切れた。

土曜の夜で、ラジオの放送は夜中に終わり、多くの人が眠っていた。海は暗闇の村々に流れ込み、人々は屋根や教会の塔に逃げた。水は2月1日の日中も引かず、次の満潮でさらに堤防が崩れた。オランダで1836人が死に、家畜も数万頭が溺れた。北海の対岸、イギリスの東海岸でも三百人あまりが死に、ベルギーでも死者が出た。

洪水の20日後、オランダの政府はデルタ委員会を作った。河口を堤防と水門で締め切り、海岸線を大幅に短くする「デルタ計画」である。守りの強さは、一万年に一度の高潮に耐えるよう求められた。工事は数十年にわたった。東スヘルデの河口では、完全に締め切ると干潟の自然と貝の漁業が失われるとの反対を受け、普段は開けておき、高潮のときだけ閉める巨大な可動式の堰が造られ、1986年に完成した。ロッテルダムの港の入口では、左右の岸から巨大な腕のような扉を回して水路をふさぐ防潮堰が、1997年に完成した。

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