概要
人の中でうまく生きられない男が、自分の半生を三つの手記に書き残す。太宰治はこれを雑誌『展望』に連載している最中の1948年6月、玉川上水に身を投げて死んだ。単行本はその翌月に筑摩書房から出た。戦後の日本でもっとも長く読まれ続けている小説の一つになる。
場所
東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
関わった人(1)
太宰治AD1909年6月19日–AD1948年6月13日 · 作者本文
『人間失格』は、ある男が残した三冊の手記を、「私」が読者に紹介するという形をとる。男の名は大庭葉蔵。子どものころから人の心がわからず、それを道化を演じてごまかしてきた。東京に出て、酒と女と左翼の活動に流され、心中に失敗し、薬に溺れ、最後は精神病院に入れられる。
1948年の春、太宰治は熱海や大宮に移ってこれを書き上げた。38歳だった。前の年に出した『斜陽』で流行作家になっていたが、結核が進み、酒量も増えていた。雑誌『展望』で連載が始まったのは6月号からで、その月の13日、太宰は愛人の山崎富栄とともに玉川上水に入水した。遺体が見つかったのは19日、39歳の誕生日だった。連載は8月号で終わり、単行本は7月に筑摩書房から出た。
作者の死と重なったことで、この小説は太宰自身の遺書のように読まれてきた。葉蔵の生い立ちには、津軽の大地主の家に生まれた太宰の経歴が重なる。ただし、手記の前後に「私」の語りを置いて距離をとっているように、すべてを作者の告白と読むのは単純すぎる、という読み方もある。
人とうまくやれない、という悩みは時代を選ばない。『人間失格』は戦後の日本で長く文庫の売上の上位にあり、新しい世代の読者を得続けている。