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Person / 人

太宰治

Dazai Osamu
AD1909年6月19日 – AD1948年6月13日(享年38)
日本重要度 4

概要

青森の大地主の家の六男。東京帝大の仏文科に籍を置いたまま作家になり、自殺未遂と心中未遂を何度も重ねた。戦中に『走れメロス』『津軽』、戦後に『斜陽』で流行作家になる。『人間失格』の連載中、玉川上水に身を投げた。38歳。

所属

日本

関わったできごと(1)

太宰治『人間失格』AD1948年7月 · 作者

本文

太宰治は、本名を津島修治という。1909年、青森県の金木村で、県下有数の大地主の家の六男として生まれた。父は貴族院議員も務めた地元の名士で、家には使用人が大勢いた。何不自由ない家に生まれながら、自分はそこにふさわしくないという引け目を、太宰は生涯書き続けることになる。

1930年に東京帝国大学の仏文科に入るが、授業にはほとんど出ず、左翼の運動に関わり、井伏鱒二に弟子入りして小説を書き始めた。同じ年、鎌倉の海で女性と心中を図り、相手だけが死んだ。その後も自殺未遂を繰り返し、薬の中毒で入院もした。1935年、第1回の芥川賞の候補になったが受賞できず、選考委員の川端康成に激しい抗議の文章を書いた。

1939年に結婚してからの数年は、作風が明るく落ち着き、『富嶽百景』『走れメロス』『津軽』などが書かれた。戦後、没落する華族の娘を描いた『斜陽』(1947年)が評判になり、「斜陽族」という言葉が生まれるほどの流行作家になった。

しかし結核が進み、酒量も増えていった。1948年、『人間失格』を書き上げ、その連載が始まった6月の13日、山崎富栄とともに玉川上水に入水した。遺体が見つかったのは19日、39歳の誕生日で、この日はいまも「桜桃忌」として読者が集まる。

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