概要
敗戦のあと、東京の家を手放して伊豆に移った元華族の母と娘かず子。そこに戦地から戻った弟の直治と、娘が思いを寄せる作家の上原が加わる。母は病で死に、直治は自ら命を絶ち、かず子は一人で子を産んで生きると決める。雑誌に連載されて評判を呼び、没落した上流の人々を指す「斜陽族」という言葉まで生まれた。
場所
東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
関わった人(1)
太宰治AD1909年6月19日–AD1948年6月13日 · 作者本文
『斜陽』は、1947年7月から10月まで雑誌『新潮』に連載され、同じ年の12月に新潮社から本になった。太宰治は、知り合いの太田静子が書いた日記を借り、それをもとに物語を組み立てた。
語り手のかず子は、華族の家に生まれた29歳の女性である。敗戦で暮らしが立ち行かなくなり、母と二人で東京の家を売り、伊豆の山荘に移る。母は、最後の貴婦人とかず子が呼ぶような、上品で浮世離れした人だった。やがて南方の戦地から弟の直治が帰ってくるが、直治は酒と麻薬に溺れ、家の金を持ち出して東京で遊び暮らす。直治が出入りしていたのが、作家の上原の家だった。
母が結核で亡くなったあと、かず子は上原を訪ね、彼の子を宿す。同じころ、直治は長い遺書を残して自殺する。かず子は、上原とは結ばれないことを受け入れながら、生まれてくる子と二人で、古い道徳と戦って生きていくと決める。
『斜陽』は発表されるとすぐに評判になり、没落していく旧上流階級の人々を指す「斜陽族」という言葉が流行した。太宰はこの作品で一躍流行作家になったが、翌年の6月、玉川上水に身を投げた。