できごと

デシベル

Decibel
AD1928年
重要度 3
大英帝国カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国デンマークメキシコDominion of NewfoundlandホンジュラスキューバグアテマラAD1928年ニューヨーク
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1928年の版図を描いています(10勢力)。

概要

電話線は長いほど信号が弱る。技術者は当初、標準的な一マイルのケーブルの損失を単位に使っていた。ベル電話研究所が、それを比の対数として定義し直す。十分の一を意味する接頭語を付けて、デシベル。1928年に正式に採用された。比の対数だから、絶対値ではない。何と比べるかを決めなければ、数字にならない。音圧なら、若い健康な耳がかろうじて聞き取る大きさが基準である。人の感覚が対数に近いという経験則が、そのまま単位になった。

場所

ニューヨーク
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国

本文

電話の線は、長くなるほど声が弱くなる。銅の線を流れる電気の信号は、少しずつ熱になって失われていくからである。ベルの電話から数十年、電話網が都市をつなぎ、大陸を横断するようになると、技術者たちは「この区間でどれだけ弱るのか」を測り、足りない分を補う装置をどこに置くかを決めなければならなくなった。

最初に使われた物差しは、極めて実務的なものだった。決まった規格の電話ケーブル一マイル分が、ある高さの音の信号をどれだけ弱めるか。これを一単位とし、「この区間の損失は標準ケーブル十二マイル分」と言い表した。分かりやすいが、特定のケーブルの規格に頼っていて、技術が変わると意味がずれていく。

もっと筋のよい物差しとして選ばれたのが、比の対数である。理由は二つあった。一つは、損失が掛け算で効くことである。弱めが半分の区間を二つつなげば、全体では四分の一になる。比のままでは掛け合わせなければならないが、対数にすれば足し算になる。この区間が三、次の区間が五、だから合わせて八、と計算できる。17世紀にネイピアの対数が天文学者の掛け算を足し算に変えたのと同じ理屈である。

もう一つは、人の感覚である。19世紀のドイツの生理学者ヴェーバーと物理学者フェヒナーは、人が感じる強さは、刺激の強さそのものではなく、その対数におおよそ比例すると考えた。重さでも明るさでも、二倍が四倍になったときと、百が二百になったときの「増えた感じ」は似ている。これは近似にすぎず、のちに修正も加えられたが、音の大きさを桁で考えるほうが感覚に近いことは確かである。しかも、人が聞き取れる最も小さい音と、耳が痛くなるほど大きい音とでは、音の強さに一兆倍もの開きがある。これをそのままの数で扱うのは不便すぎた。

1920年代の半ば、アメリカのベル電話研究所の技術者たちは、電力の比の対数をもとにした「伝送単位」を提案し、1928年、これを電話の発明者ベルにちなんで「ベル」と名づけ直した。電力の比が十倍なら一ベル、百倍なら二ベルである。ところが実際に使うには大きすぎ、0.3ベルのような小数ばかりになる。そこで、十分の一を表す接頭語を付けた「デシベル」が、実際の単位として使われるようになった。電力が十倍なら十デシベル、二倍ならおよそ三デシベルである。

デシベルには、いくつか注意の要る性質がある。まず、それ自体は比であって、絶対的な量ではない。何と比べるかを決めなければ、数字にならない。そこで用途ごとに基準が決められた。空気中の音の大きさなら、若く健康な人の耳が千ヘルツの音をかろうじて聞き取れるとされた音圧、二十マイクロパスカルを零デシベルとする。電気の信号なら一ミリワットを基準にするなど、ほかにも多くの基準がある。同じ「デシベル」でも基準が違えば比べられず、これが頻繁に混同される。人の耳の感度に合わせて高い音と低い音に重みを付けた測り方もある。

次に、ふつうの足し算が効かない。六十デシベルの音が二つ鳴っても、百二十デシベルにはならない。音の力が二倍になるだけなので、およそ六十三デシベルである。十デシベル上がると音の力は十倍になり、耳に聞こえる大きさはおよそ二倍になるとされるが、後者は経験から得た目安である。

目安を並べると、零デシベルが聞こえるか聞こえないかの境、二十デシベルが静かな部屋、六十デシベルがふつうの会話、百デシベルが騒がしい電車の中や大音量の音楽、百二十デシベルで耳に痛みを感じ始める。八十五デシベルを超える音に長い時間さらされると、聴力を損なうおそれがあるとされる。空気中の音には上限もある。音は空気の圧力の揺れであり、揺れの谷は真空より低くなれない。そのため、およそ百九十数デシベルを超えると、それはもう音ではなく衝撃波になる。1883年のクラカタウ火山の噴火では、空気の圧力の波が地球を何周もしたことが、各地の気圧計の記録に残っている。

測れるようになったことは、社会の決まりも変えた。職場の騒音は何デシベル以下にする、夜の住宅地では何デシベルを超えてはならない、といった基準が作れるようになった(騒音を測る)。「あなたの店の音がうるさい」ではなく、「深夜に敷地の境界で四十五デシベルを超えている」と言えば、争いを数字の上で扱える。同時にそれは、「この数値より下なら我慢すべきだ」という線を引くことでもあった。人の感覚が対数に近いという経験則が、そのまま一つの単位になり、私たちの暮らしの音の決まりを形づくっている。

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