概要
江戸は海を埋めて広がった街で、井戸を掘っても塩水が出る。多摩川の羽村で取水し、四十三キロを掘って四谷まで導いた。標高差は約92メートル、一キロあたり平均二メートルの勾配である。測量は夜、提灯の火を並べて行ったと伝えられる。玉川兄弟が請け負い、二度失敗して工費を自弁したという伝承が残る。市中では木と石の樋を地下に埋めて配り、井戸の形をした汲み上げ口から使った。上水を汚す行為は厳しく罰せられた。
場所
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
本文
**問題**。
**江戸には、**飲める水が、無い**。
(——**理由**。
〈**(1)**海を、埋めて、広げた**街である**。
**——**日比谷、丸の内、そして下町の大部分**が、**もとは、海か、湿地である**。
**(2)**だから、**井戸を掘ると、**塩水が出る**。
**(3)そして、**人口が、増え続けた**。
**——**17世紀半ばで、**数十万**。
**——**そして、**18世紀に、百万を超えた**。〉)
**先行**。
(**(1)**神田上水**(1590年頃から)。
〈**——**井の頭池**を、水源とする**。
**——**そして、**神田、日本橋、京橋**へ**。
**——**しかし、**水量が、足りない**。〉
**(2)**そして、**1653年、幕府が、決めた**。
〈**——**四代将軍家綱**の時代**(実際の主導は、老中松平信綱ら)。
**——**「多摩川から、引く」**。〉)
**工事**。
(**1653年(承応二年)、着工**。
〈**——**取水口——**羽村**(現・東京都羽村市)。
**——**終点——**四谷大木戸**(現・新宿区)。
**——**距離、**約43キロ**。
**——**標高差、**約92メートル**。
**——**平均の勾配、**一キロあたり、約2メートル**。〉
**——**そして、**八か月**で、掘り上げた、とされる**。
〈**——**1653年4月着工、11月に、四谷まで通水**。
**——**極めて、速い**。
**——**動員された人数は、**数万**とも言われる**。〉
**測量**。
〈**——**伝承**。
**——**夜、**提灯の火を、一定の間隔で並べて、**その高さを、見通した**。
**〈——昼間は、**遠くの目標が、はっきり見えない**。**
**——そして、火なら、点として、見える。〉**
**——**この方法が、実際に使われたかは、**確証が無い**。
**——**ただし、**当時の測量の技術(水盛りと、間縄)で、**これだけの精度を出したこと**は、確かである**。〉)
**玉川兄弟**。
(——**庄右衛門**と**清右衛門**。
〈**——**請け負った、とされる**。
**——**そして、**二度、失敗した**、という伝承がある**。
**〈——一度目**——**日野から掘り始めて、水が、地中に吸われた**。**
**——二度目**——**福生から掘り始めて、同じことが起きた**。**
**——「水喰土」(みずくらいど)。**
**——そして、三度目に、羽村から掘って、成功した。**
**〈——福生に、**「水喰土公園」**という場所があり、**
**——失敗した掘割の跡と伝えられるものが、残っている。〉〉**
**——**そして、**工費が足りなくなり、**兄弟が、家屋敷を売って、自弁した**、と伝えられる**。
**〈——この伝承の史料的な裏づけは、**弱い**。**
**——そして、彼らが、**「玉川」の姓と、名字帯刀を許された**ことは、記録にある。〉**〉
**——**羽村の取水口に、**兄弟の像**が、立っている**。〉)
**配る**。
(——**四谷大木戸から先は、**地下**である**。
〈**——**木の樋**(とい)と、**石の樋**。
**——**それを、**地面に、埋める**。
**——**そして、**分岐させて、町へ、配る**。〉
**汲み上げ口**。
〈**——**「上水井戸」**。
**——**井戸の形をしているが、**掘り抜いた井戸ではない**。
**——**地下の樋に、**溜め枡**を、繋いだもの**である**。
**——**そこから、**釣瓶で、汲む**。
**〈——だから、**「水道の水を、井戸から汲む」**という、**
**——奇妙な言い方が、江戸で、普通だった。〉**〉
**そして、**長屋**。
〈**——**共同の、上水井戸**。
**——**そこが、**女たちの、情報の交換の場になった**。
**〈——「井戸端会議」。**
**——この語は、**そこから来ている**。〉**〉
**費用**。
〈**——**「水銀」**(みずぎん)**という、**使用料**が、徴収された**。
**——**そして、**その多くを、**大家が、負担した**。〉)
**規則**。
(——**上水を、汚すことは、**厳しく、罰せられた**。
〈**——**「上水に、**芥(ごみ)**、あるいは、**魚**を、入れてはならない」**。
**——**「水浴びを、してはならない」**。
**——**「洗い物を、してはならない」**。
**——**そして、**両岸に、**柵と、掲示**が、立てられた**。
**〈——罰は、**重い**。**
**——記録に、**流罪**の例がある。〉**〉
**——**そして、**それが、**衛生を、保った**。
〈**——**同じ時期のロンドンとパリが、**汚れた川の水を、飲んでいた**。
**——**そして、**コレラが来たとき、**大量に、死んだ**。
**〈——ただし、**江戸も、安政のコレラ(1858年)で、大量の死者を出した**。**
**——上水があっても、**病原体が入れば、防げない**。**
**——そして、**上水の水を、そのまま飲んでいた**。〉**〉)
**その後**。
(——**明治**。
〈**——**1898年、**近代的な水道**(淀橋浄水場)。
**——**そして、**濾過と、消毒**が、加わった**。
**——**玉川上水は、**その原水を、運ぶ役目に、変わった**。〉
**——**1965年、**淀橋浄水場が、廃止された**。
〈**——**そして、**玉川上水の、大部分の通水が、止まった**。〉
**——**現在**。
〈**——**羽村から小平までは、**いまも、水が流れている**。
**〈——東村山浄水場へ、送るためである。〉**
**——**そして、**小平から下流は、**「清流復活事業」**(1986年)で、**
**——**下水の高度処理水を、流している**。
**〈——水が、無いと、**緑が、枯れる**。〉**
**——**2003年、**国の史跡**に、指定された**。〉
**——**そして、**その両岸の道が、**桜と、雑木林の、散歩道になっている**。
〈**——**三鷹の、玉川上水の畔で、**太宰治が、死んだ**(1948年)。〉)