概要
1963年、アリゾナ州フェニックスで、誘拐と強姦の疑いで捕まったエルネスト・ミランダは、2時間の取り調べで自白し、有罪になった。黙っている権利も、弁護士を呼べることも、告げられていなかった。1966年6月13日、合衆国の最高裁判所は5対4で、警察に身柄を押さえられた人を取り調べる前には、黙っている権利があること、話したことは不利な証拠に使われうること、弁護士を付けてもらえること、払えなければ国が付けることを告げなければならず、告げずに得た自白は証拠にできないと判断した。刑事ドラマでおなじみの「あなたには黙秘権がある」は、ここから来ている。
場所
38.91°N -77.04°E · アメリカ合衆国
本文
アメリカの憲法の修正5条は、誰も自分に不利な証言を強いられないと定め、修正6条は、刑事裁判で弁護人の助けを受ける権利を保障している。だが、警察の取調室の中でこの権利がどこまで守られるかは、長いあいだ曖昧だった。暴力や脅し、何時間も続く取り調べで自白を引き出すことは、珍しくなかった。
1960年代、首席判事アール・ウォーレンが率いる最高裁判所は、刑事被告人の権利を次々に広げていった。1963年のギデオン判決は、弁護士を雇えない被告人には、重い罪の裁判で国が弁護士を付けなければならないとした。
1963年3月、アリゾナ州フェニックスで、18歳の女性を誘拐し強姦した疑いで、エルネスト・ミランダという22歳の男が捕まった。2時間ほどの取り調べのあと、ミランダは自白し、自分の権利を分かったうえで自分の意思で話した、と印刷された書面に署名した。だが実際には、黙っている権利も、弁護士を呼べることも告げられていなかった。この自白が決め手となって、ミランダは有罪になった。
1966年6月13日、最高裁は、ミランダの事件とほか三つの同じような事件をまとめて判断した。ウォーレンが書いた5対4の多数意見は、警察に身柄を押さえられた人への取り調べは、それ自体が人に話すよう強いる圧力を持つとした。だから取り調べの前に、警察は、黙っている権利があること、話したことは法廷で不利に使われうること、弁護士に立ち会ってもらう権利があること、雇えなければ付けてもらえることを、はっきり告げなければならない。告げずに得た供述は、証拠として使えない。
警察や政治家からは、犯罪者を野放しにするという強い反発が起きた。ミランダ自身は、自白を除いたやり直しの裁判で、別の証拠によって再び有罪となった。仮釈放のあと、彼は警官に配られる「ミランダ警告」のカードにサインを入れて売っていたという。1976年、ミランダは酒場の喧嘩で刺されて死に、捕まった男には、ミランダ警告が読み上げられた。2000年、最高裁は、この警告が憲法に根ざすものだと改めて確かめている。