間宮林蔵の樺太探検
概要
幕府の命で樺太へ。北端に近いナニオーまで行って、樺太が島だと確かめた。アイヌの船で海峡を渡り、黒竜江を遡って清の役所に着いた。「間宮海峡」。シーボルトが地図に書いた。ヨーロッパ人はまだ知らなかった。林蔵はシーボルト事件で密告した側になり、嫌われた。
場所
52.00°N 141.50°E · ロシア・サハリン
関わった人(1)
間宮林蔵AD1780年–AD1844年4月13日 · 探検本文
間宮林蔵は、常陸国の筑波郡、いまの茨城県つくばみらい市のあたりで農民の子として生まれた。生年は1775年とも1780年とも言われる。幼いころから算術に才があり、幕府の役人に見込まれて、蝦夷地の調査に雇われた。1800年、箱館で測量のため蝦夷地に来ていた伊能忠敬に出会い、測量の技を学んでいる。
18世紀の終わりから、ロシアの船が蝦夷地の近海に姿を見せるようになっていた。1804年、ロシアの使節レザノフが長崎に来て通商を求めたが、幕府は半年も待たせた末に断った。怒ったレザノフの部下フヴォストフらは、1806年から翌年にかけて、樺太南部と択捉島の日本の番所を襲った。林蔵はこのとき択捉島にいて、戦わずに退く役人たちに反対したが、聞き入れられなかった。幕府は北の守りを急ぎ、まず樺太がどうなっているのかを知る必要に迫られた。
当時、樺太が大陸とつながった半島なのか、海で隔てられた島なのかは、誰にも分かっていなかった。18世紀にはフランスのラペルーズが樺太と大陸のあいだを北へ進もうとして浅瀬に阻まれ、その後に来た欧米の探検家も、半島だろうと考えていた。1808年の春、幕府は松田伝十郎と間宮林蔵を樺太へ送った。宗谷から渡った二人は、伝十郎が西海岸を、林蔵が東海岸を北へ進んだ。林蔵は東海岸の途中で行く手を阻まれて西海岸へ移り、伝十郎と合流した。伝十郎は西海岸を北上してラッカという地に至り、対岸の大陸が間近に見えることから、樺太は島だと判断した。海峡を最初に確かめたのは伝十郎だという見方もある。
いったん戻った林蔵は、さらに奥を確かめたいと願い出て、その年の夏、ひとりで再び樺太へ渡った。アイヌや、北部に住むニヴフの人びとの舟と案内を頼りに、冬を越しながら西海岸を北へ進み、1809年の夏、北端に近いナニオーという地に達した。ここで、樺太と大陸のあいだが確かに海峡でつながっていることを見届けた。

林蔵はそこで引き返さなかった。ニヴフの首長が交易のために大陸へ向かうのに同行させてもらい、海峡を渡って、黒竜江(アムール川)の下流をさかのぼった。たどり着いたのは、デレンと呼ばれる地に置かれた清の出先の役所だった。周辺の民族はここに毛皮を持ち寄って清に貢ぎ、代わりに絹織物などを受け取っていた。この絹は、樺太やアイヌを経て、蝦夷地の和人の手にも渡っていた。山丹交易と呼ばれる北の交易路である。林蔵は役人たちに会い、その様子をつぶさに見て、秋に樺太へ戻った。
林蔵の見聞は、幕府の役人村上貞助が口述をもとに書きとめ、『東韃地方紀行』『北夷分界余話』という報告にまとめられた。土地の人びとの暮らしや言葉、交易のありさまを絵入りで伝える、貴重な記録である。林蔵はその後も蝦夷地の測量を続け、伊能忠敬の日本地図の蝦夷地の北部や西部には、林蔵の測量が生かされている(伊能忠敬の日本図)。
海峡に林蔵の名が付いたのは、オランダ商館の医師シーボルトのおかげだった。シーボルトは帰国後の1832年から刊行した大著『日本』の地図に、この海峡を「マミヤノセト(間宮の瀬戸)」と書き入れた。ヨーロッパでは、ロシアのネヴェリスコイが1849年に船で海峡を通り、樺太が島であることを確かめたとされる。林蔵の探検から40年後のことである。国際的にはいまもタタール海峡と呼ばれることが多いが、日本では間宮海峡と呼ぶ。
そのシーボルトとの関わりは、林蔵の評判に影を落とした。1828年、帰国しようとするシーボルトの荷から、持ち出しを禁じられた日本の地図が見つかった。幕府の天文方高橋景保が、伊能図の写しを渡していたのである(シーボルト事件)。林蔵はその前に、シーボルトから届いた手紙を開けずに役所へ差し出しており、それが発覚のきっかけを作ったと言われる。景保は獄中で死んだ。林蔵が密告したと見る人びとは彼を嫌ったが、林蔵の届け出がどこまで事件に関わったかは、はっきりしない。晩年の林蔵は幕府の隠密として各地を探り、浜田藩の密貿易を暴いたとも伝えられる。1844年に江戸で死んだ。
林蔵が渡った海峡の両岸は、いまはどちらもロシアの土地である。樺太・千島交換条約で樺太はロシア領となり、日露戦争の後に南半分が日本領になったが、第二次世界大戦の後に再びソ連が治めた。常陸の農民の子が、ひとり異民族の舟に乗って清の役所まで行き、北の地図の空白を埋めた。その名が、ヨーロッパの地図に記された数少ない日本人の名として残っている。