概要
「カラオケ」は、歌の入っていない伴奏だけの音、「空のオーケストラ」を指す放送の業界の言葉だった。1971年ごろ、神戸でバンドのドラマーをしていた井上大佑は、客の歌に合わせて伴奏をした経験から、伴奏のテープを入れた機械に硬貨を入れて歌える装置を作り、スナックに貸し出した。同じころ、似た機械を考えた人はほかにもいる。井上は特許を取らなかった。1980年代、岡山の田園に貨物用のコンテナを置いたカラオケボックスが現れ、家族や若者が歌う場になる。いま「karaoke」は、そのまま世界の言葉になっている。
場所
34.69°N 135.19°E · 兵庫県
本文
レコードやテープの伴奏に合わせて歌うこと自体は、昔からあった。放送の業界では、歌の入っていない伴奏だけの音源を「空のオーケストラ」、略して「カラオケ」と呼んでいた。歌番組の稽古や、歌い手の地方の巡業で使われるものだった。
1960年代の終わりから70年代の初めにかけて、この伴奏を客が自分で使える機械が、いくつも考え出された。よく知られるのは、神戸のスナックでバンドのドラマーをしていた井上大佑である。客に頼まれて伴奏をするうち、客の歌いやすい調子と速さで伴奏を録音したテープを作ることを思いついた。1971年ごろ、硬貨を入れると伴奏が流れる機械「8ジューク」を作り、スナックに貸し出す。井上は特許を取らなかった。同じころ、東京で似た機械を作った人もいる。
1970年代、カラオケは酒場で会社員が歌うものとして広まった。1980年代にはレーザーディスクで歌詞と映像が画面に出るようになり、1985年ごろ、岡山の田園地帯に、貨物用のコンテナを改造した部屋を並べた「カラオケボックス」が現れる。酒場でなくても、家族や学生が仲間だけで歌える場所ができた。1990年代には通信で曲を配る機械が普及する。
カラオケはアジアからアメリカ、ヨーロッパへ広がり、「karaoke」は英語の辞書にも載る言葉になった。1999年、アメリカの雑誌『タイム』は、井上を「20世紀で最も影響力のあったアジア人」の一人に選んでいる。