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Event / できごと

蓄音機の発明

Edison invents the phonograph
AD1877年
重要度 5

概要

錫箔を巻いた円筒に、針で溝を刻む。電話の実験の副産物だった。エジソンが最初に吹き込んだのは「メリーさんの羊」。それまで、音は、鳴った瞬間に消えるものだった。この機械が、死んだ人の声を残し、遠い土地の音楽を運び、演奏を商品にした。彼は用途の第一に「遺言と口述筆記」を挙げ、音楽は第四に置いた。1887年、ベルリナーが円盤に変え、複製ができるようになった。

場所

メンローパーク
40.55°N -74.33°E · アメリカ・ニュージャージー州

関わった人(1)

トーマス・エジソンAD1847年2月11日–AD1931年10月18日 · 発明した

本文

1877年、ニュージャージー州メンローパーク。エジソン30歳。

彼は電信の改良と、電話の送話器の改良をしていた。電信の信号を紙テープに刻んで記録し、それを速く送り返す装置を作っているとき、テープが高速で走ると音が出ることに気づいた。

そして、電話の振動板の裏に針を付け、蝋を塗った紙に走らせてみた。指でなぞり返すと、かすかに声のような音がした。

7月18日の実験ノートに「Hulloo」と書いてある。

11月29日、彼は助手のジョン・クルージに図面を渡した。真鍮の円筒に螺旋の溝を切り、錫箔を巻く。ハンドルで回す。振動板と針が一組(録音用と再生用で二組)。

クルージは、これが何をする機械か理解していなかった、と後に語っている。

数日で完成した。エジソンが叫んだ。

「メリーさんの羊、その毛は雪のように白かった」。

針を戻し、ハンドルを回すと、機械が同じことを言った。

クルージは「気味が悪くなった」と書いている。エジソン自身も「私は生涯、これほど驚いたことはない」と言った。

**なぜ驚くのか**。

それまで、人類の歴史で、音は、鳴った瞬間に消えるものだった。文字は残る。絵は残る。建物は残る。音だけが、残らなかった。過去の音を、誰も聞いたことがなかった。

1877年12月、特許出願。12月7日、『サイエンティフィック・アメリカン』誌の編集部に持ち込んだ。エジソンは机の上に機械を置き、ハンドルを回した。機械が「皆さん、ご機嫌いかがですか。蓄音機はいかがです。それでは、おやすみなさい」と言った。編集部が騒然となり、床が抜けそうになるほど人が集まった、と同誌は書いた。

「メンローパークの魔術師」の名がついた。

**用途**。1878年、彼が『ノース・アメリカン・レヴュー』に挙げた10の用途。

1. 速記者なしの手紙と口述筆記 2. 盲人のための本 3. 話し方の教育 4. 音楽の再生 5. 家族の記録(「死につつある家族の最後の言葉」) 6. オルゴールと玩具 7. 時刻を告げる時計 8. 言語の保存 9. 教育(授業の記録) 10. 電話との接続

音楽は4番目である。彼は、これを事務機械と考えていた。

**問題**。錫箔の円筒は、数回再生すると潰れる。複製できない。音が小さい。

エジソンは電灯の事業に移り、蓄音機を10年放置した。その間に、ベルの研究所(ヴォルタ研究所)が蝋の円筒を使う「グラフォフォン」を作った。エジソンは慌てて戻り、改良した。

1887年、**エミール・ベルリナー**が、円筒でなく円盤に、横に振れる溝を刻む方式(グラモフォン)を特許にした。円盤なら、原盤から金型を作って何枚でもプレスできる。

これで、音が商品になった。

1902年、カルーソーの録音が売れた。1920年代、ラジオと並んで、家庭に音楽が入った。1917年、ジャズの最初のレコード。地方の音楽が、地方を出た。ミシシッピのブルースが、シカゴとロンドンで聞かれた。

そして、民族音楽学が生まれた。1890年、ジェシー・フュークスがパサマクォディ族の歌を蝋管に録った。フランセス・デンズモアが、アメリカ先住民の歌を2500曲、録音した。消えつつある音が、残された。

エジソンは、耳が悪かった。少年の頃からほとんど聞こえなかった。彼は、蓄音機の木の箱に歯を立てて、骨伝導で音を確かめた、と伝えられる。

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