概要
1958年、大阪の布施(いまの東大阪)で、立ち食い寿司の店を営んでいた白石義明は、ビール工場で瓶がベルトの上を流れていくのを見て、寿司を皿に載せて客の前を回す仕組みを思いついた。人手が足りず、職人の給料も高い。曲がり角で皿がうまく回らない問題を、扇形の板を組み合わせるやり方で解いた。「元禄寿司」の一号店である。1970年の大阪万博に出店して知られるようになり、寿司は、値段の分からない高級な料理から、皿の色で値段が分かる家族の外食になった。
場所
東大阪
34.68°N 135.60°E · 大阪府東大阪市
34.68°N 135.60°E · 大阪府東大阪市
本文
寿司は、江戸の町で屋台の軽い食べ物として始まった。戦後、店を構えた寿司屋は高級になり、値段の書いていない「時価」の品に、客は勘定を恐れた。職人を雇うには長い修行と高い給料が要った。
大阪の布施で立ち食いの寿司屋を営んでいた白石義明は、人手が足りず、店を回すのに苦しんでいた。あるとき、アサヒビールの工場を見学し、ビールの瓶がベルトの上を流れていくのを見て、これを寿司に使えないかと考えた。
難しかったのは、ベルトが曲がり角をうまく回ることだった。まっすぐなベルトでは、角で皿が落ちる。白石は、扇の形をした板を連ねて、角でも滑らかに回る仕掛けを作った。回る速さも、客が皿を取りやすいよう、何度も試して決めたという。1958年、「元禄寿司」の一号店を開いた。白石はこの仕掛けで特許を取っている。
1970年の大阪万博で店を出すと、回る寿司は評判になった。皿の色や模様で値段が分かり、手に取った分だけ払えばよい。子どもを連れた家族でも気兼ねなく入れる。1970年代の後半に特許が切れると、多くの会社が参入した。のちに、注文を画面で受け、皿を自動で数え、鮮度の落ちた皿を捨てる仕組みが加わる。寿司は、日本の家族の外食の代表になり、海外へも広がった。