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Event / できごと

高麗の科挙

Goryeo civil service examinations
AD958年
重要度 4

概要

光宗が後周から来た双冀の勧めで科挙を始めた。それまでの豪族の家柄でなく、試験で。同時に奴婢按検法で豪族の私奴を減らした。豪族を殺し、王の力を作った。朝鮮の科挙は1894年まで続いた。

場所

開城
37.97°N 126.55°E · 朝鮮民主主義人民共和国(高麗の都)

本文

光宗。王昭。 王建の四男。 「949年。25歳」。 「豪族。『後三国の功臣』」。 「兄たちが、豪族に、殺されかけた」。 956年。「奴婢按検法。『豪族の奴婢で、元は良民だった者を、良民に戻す』」。 「豪族の、私兵と、労働力を」。 957年。「双冀。後周の使者の随員。病気で残った。『科挙を』」。 958年5月。 「製述科。明経科。医。卜」。 「『経学と文学』」。 「『武科』は、なかった。1390年まで」。 「双冀が、試験官」。 「第一回。7人」。 「『唐の科挙』。『後周の』」。 「新羅。『読書三品科』。788年。『骨品の中で』」。 「高麗。『骨品なし』。『良民なら』」。 「『実際は、豪族の子』」。 「『それでも、豪族の家柄でなく、試験で、役人に』」。 960年。「百官の服の色。紫、丹、緋、緑」。 「『皇帝』。『光徳』『峻豊』。年号。開城を『皇都』」。 「粛清」。 「『功臣。960年から。密告。獄』」。 「『王建の側近の、生き残りは、40人』。崔承老」。 「『息子(景宗)まで、疑った』」。 「975年。死んだ」。 「景宗。『功臣を、また』」。 「成宗。『崔承老。時務28条』。『光宗の科挙は良かった。粛清は悪かった』」。 「『儒教』。『国子監』。992年」。 「『科挙』。『文官』。『両班』」。 「『高麗は、文官の国。武臣が、1170年に』」。 「『朝鮮』。『科挙』。『1894年』」。 「936年。1894年」。 「『試験で、役人を』」。 「『それが、朝鮮の、1000年』」。 「『試験』」。 「『いまも』」。 「『修能』」。 「『光宗』」。

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