大韓航空機爆破事件
概要
北朝鮮の工作員が仕掛けた爆弾で大韓航空858便がアンダマン海上で爆発し、115人全員が死んだ。実行犯の証言から日本人拉致も明るみに出た。
場所
14.55°N 97.38°E · ミャンマー沖のアンダマン海
本文
1987年の韓国は大きな節目にあった。民主化を求める運動の末に、12月に大統領の直接選挙が行われることになり、翌1988年にはソウルでオリンピックが開かれる予定だった。北朝鮮は五輪の共同開催を求めていたが、話はまとまっていなかった。4年前のラングーン事件に続いて、北朝鮮はこの時期にも韓国を揺さぶる工作を進めていた。
金賢姫は平壌の生まれで、学生のころに朝鮮労働党に選ばれ、工作員を育てる施設で外国語や格闘、爆発物の扱いを何年も仕込まれたと述べている。日本人になりきるための訓練もその一つだった。
11月12日、北朝鮮の工作員である70歳近い男の金勝一と、25歳の女の金賢姫が平壌を発った。二人はモスクワ、ブダペスト、ウィーン、ベオグラードと乗り継ぎ、偽造した日本の旅券で「蜂谷真一」「蜂谷真由美」という日本人の父娘になりすましていた。爆弾は日本製のラジオに仕込んだ爆薬と、酒瓶に見せかけた液体爆薬だった。11月28日、二人はバグダッドから大韓航空858便に乗り、爆弾を座席の上の棚に置いたまま、最初の経由地アブダビで降りた。
858便はアブダビを出てバンコクへ向かった。11月29日の昼過ぎ、ビルマ沖のアンダマン海の上空で爆弾が爆発し、機体は海に落ちた。乗っていた乗客104人と乗員11人の115人は全員死んだ。乗客の多くは、中東の建設現場で何年も働いて帰国する途中の韓国人の労働者だった。機長が最後に送った無線は、到着は定刻、異常なしというものだった。機体の破片の一部は、のちにタイで見つかった。
二人は脱出の途中、バーレーンで旅券の偽造を見破られた。拘束されそうになると、たばこに隠した毒薬を口にした。金勝一は死んだが、金賢姫は助かり、12月15日、選挙の前日にソウルへ移された。はじめは日本育ちの中国人だと言い張っていたが、取り調べのなかでソウルの街の暮らしを見せられ、教えられてきた韓国の姿とまるで違うことを知って、すべてを話したと伝えられる。
1988年1月、金賢姫は記者会見に臨み、自分たちが北朝鮮の工作員であること、爆破の命令は金正日の直筆によるもので、狙いはソウル五輪を妨げることだったと述べた。彼女は1989年に死刑を言い渡されたが、翌年、盧泰愚大統領が特赦した。北朝鮮に洗脳されて使われた者もまた被害者だ、というのが理由だった。米国はこの事件を受けて北朝鮮を「テロ支援国家」に指定した。
この事件は日本にとっても重い意味を持った。金賢姫は、日本人になりすますために「李恩恵」と呼ばれる日本人女性から日本語や日本の習慣を教わったと証言した。日本の警察は1991年、この女性を1978年に行方が分からなくなっていた田口八重子さんと判断したと発表した。北朝鮮による日本人の拉致は、それまで一部で疑われていただけだったが、この証言を通じて広く知られる問題になった。北朝鮮が拉致を認めたのは、2002年の日朝首脳会談のときである。2010年、金賢姫は日本を訪れ、拉致被害者の家族と会っている。
機体と犠牲者の遺体は、ほとんど見つからなかった。2020年、韓国のテレビ局がミャンマー沖の海底で機体の一部とみられるものを見つけたと報じたが、遺族の間には、事件の真相と捜査に対する疑問の声もいまだに残っている。爆破の翌年、ソウル五輪は予定どおり開かれ、北朝鮮は参加しなかった。
金賢姫はその後、自らの半生を本にまとめ、北朝鮮からは裏切り者とされて、韓国で厳重な警護のもとに暮らしている。1990年の会見で、自分はいまも罪の意識の囚われ人だという趣旨のことを語った。