ライト兄弟
概要
自転車屋の兄弟が、風洞で翼を測り直し、操縦の問題として飛行を解いた。1903年12月17日、12秒。
所属
アメリカ合衆国関わったできごと(1)
ライト兄弟の初飛行AD1903年12月17日 · 飛行本文
兄ウィルバーは1867年4月16日にインディアナ州で、弟オーヴィルは1871年8月19日にオハイオ州デイトンで生まれた。父ミルトンはプロテスタントの一派の牧師で、のちに主教になった人である。家には本がたくさんあり、子どもたちは好きなことを自由に調べるよう育てられた。

1878年、父が出張の土産に、ゴムひもでプロペラを回して飛ぶ小さなおもちゃを買ってきた。兄弟は壊れるまで飛ばし、自分たちで作り直した。後年、二人は空を飛ぶことへの関心はこのときに始まったと語っている。
二人とも高校の卒業証書を持っていない。ウィルバーは大学へ進むつもりだったが、18歳のころ、氷上で遊んでいて顔を棒で打たれ、その後長く体調を崩して家にこもった。その間に母を看病し、父の書斎の本を読みあさった。オーヴィルは高校を中退して印刷所を開き、兄も加わって地域の新聞を出した。1892年には、当時大流行していた自転車の店を開き、やがて自分たちの設計の自転車を作って売るようになった。

1896年、ドイツのグライダーの先駆者リリエンタールが墜落して死んだ。この知らせが兄弟を飛行の研究に向かわせた。1899年、二人はスミソニアン協会に手紙を書き、飛行についての資料を取り寄せた。読んでみて分かったのは、翼を作ることも、エンジンを積むことも、すでに多くの人が試していること、そして誰も解いていない問題があることだった。空中で機体の釣り合いを保ち、思う方向へ向ける、操縦の問題である。
鳥は翼の先をねじって左右の傾きを直している。ウィルバーは店で細長い紙箱をひねっているときに、翼全体をねじるようにたわませれば同じことができると気づいた。この「翼のたわみ」の仕組みを載せた凧とグライダーで試験を始めた。試験の場には、気象局に問い合わせて、強い風が安定して吹き、砂地で落ちても痛くないノースカロライナ州の海辺キティホークを選んだ。

1900年と1901年のグライダーは、計算どおりに浮かなかった。先人の作った揚力の表のほうが間違っているのではないかと考え、店の中に長さ2メートル足らずの木の箱で風洞を作り、送風機で風を送って、200種類ほどの小さな翼の模型を測り直した。正しい数字をもとに作った1902年のグライダーには、動かせる垂直の舵を付け、翼のたわみと組み合わせて旋回できるようにした。この年、二人は1000回近く滑空し、飛び方を体で覚えた。
残るは動力だった。軽くて十分な力を持つエンジンを売ってくれる会社が無く、店の機械工チャーリー・テイラーが6週間で12馬力ほどのエンジンを作った。プロペラについても参考になる理論が無く、プロペラを回転する翼と考えて、風洞の数字から自分たちで設計した。

1903年12月17日の朝、キティホーク近くの砂丘で、オーヴィルが操縦して最初の飛行をした(ライト兄弟の初飛行)。12秒で36メートルほど。人を乗せた機械が自分の力で地面を離れ、操縦されたまま飛んで、出発した場所と同じ高さに降りた、初めての飛行だった。その日のうちに交代で4回飛び、最後のウィルバーの飛行は59秒で260メートルほどに達した。直後に突風で機体がひっくり返り、壊れた。兄弟は父に電報を打ち、クリスマスには家に帰ると伝えた。
人が気球で初めて空に浮かんでから(人が浮かぶ)、120年後のことである。ちょうど同じころ、ドイツでは巨大な飛行船が空を行き来し始めていたが、空の主役はまもなく飛行機に移る。初飛行から24年後には、リンドバーグが大西洋を単独で飛び越えた(リンドバーグの大西洋単独無着陸飛行)。

新聞はほとんど報じなかった。その9日前、政府の資金を受けた著名な学者ラングレーの飛行機が、川に墜落して失敗したばかりで、自転車屋の兄弟が飛んだという話を信じる者は少なかった。兄弟は翌年からデイトン近くの牧場で改良を重ね、1905年には30分以上飛び続けて旋回も自在にこなしたが、特許と契約を守るため、人前で飛ぶのを控えた。
1908年8月、ウィルバーがフランスのル・マンで公開飛行をした。それまで兄弟をほら吹き扱いしていたフランスの飛行家たちは、機体が空中で自在に輪を描くのを見て、言葉を失った。同じ年、アメリカで陸軍に飛行を見せていたオーヴィルは墜落し、同乗していた士官が死んだ。飛行機による最初の死者だった。オーヴィル自身も大けがを負った。

その後は、特許をめぐる争いに長く時間を取られた。1912年5月30日、ウィルバーは腸チフスで亡くなった。45歳だった。オーヴィルは会社を手放し、スミソニアン協会が「最初に飛べる機械を作ったのはラングレーだ」と展示したことに抗議して、初飛行の機体をイギリスの博物館に預けた。協会が主張を改めた後、機体はオーヴィルの死後の1948年にアメリカへ戻った。オーヴィルはその年の1月30日に76歳で亡くなっていた。
兄弟は生涯どちらも結婚せず、二人で一つの仕事をした。大学で学んだ技術者でも、資金を持つ学者でもなかった。他人の数字を鵜呑みにせず、自分で測り直し、小さな試験を何百回も重ねた。初飛行から66年後、月に降りたアポロ11号は、その機体の布と木の小片を積んでいった。