概要
1978年、タイトーが出した業務用のテレビゲーム『スペースインベーダー』は、画面の上から列をなして降りてくる宇宙人を、下の砲台で撃ち落とすゲームだった。作ったのは西角友宏である。敵が減るほど動きが速くなるのは、計算の負担が減ったためで、狙ってそうしたものではなかった。喫茶店のテーブルがゲーム機に替わり、専用の「インベーダーハウス」ができ、百円玉が足りなくなったと言われるほど流行した。補導される少年も出て、社会の問題にもなった。日本のテレビゲームが世界の市場に出ていく、最初の大きな一歩である。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
1970年代、喫茶店やゲームセンターには、テレビの画面で球を打ち合う単純なゲームが置かれていた。タイトーの技術者の西角友宏は、アメリカのゲームの模倣ではない、新しいゲームを作ろうとしていた。最初は戦車を撃つゲームを考えたが、人を撃つのは良くないとして、敵を宇宙人に変えた。映画『スター・ウォーズ』の人気や、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』が発想のもとにあったと語られている。
1978年に出た『スペースインベーダー』は、画面の上から列をなして左右に動きながら降りてくる宇宙人を、画面の下の砲台で撃ち落とすゲームだった。宇宙人は弾を撃ち返してくる。敵を減らすほど、残った敵の動きが速くなる。これは、描く敵の数が減ると計算機の処理が軽くなったためで、はじめから狙った仕掛けではなかった。西角はそれがかえって面白いと見て、残した。
ゲームは爆発的に流行した。喫茶店のテーブルがゲーム機に替わり、ゲーム機だけを並べた「インベーダーハウス」が町に生まれた。百円玉が足りなくなったと言われるほどで、学校をさぼってゲームに通う少年が補導されるなど、社会の問題にもなった。
一時の熱は一年ほどで冷めたが、テレビゲームは子どもと若者の遊びとして定着した。敵が攻めてくる、得点を競う、最高の得点を画面に残すといった形は、その後のゲームの基本になる。日本のゲーム会社が世界の市場へ出ていく最初の大きな成功であり、5年後のファミリーコンピュータの発売へとつながっていった。