概要
関東大震災のあと、家を失った人々のための住まいを造るため、1924年5月、国内外から寄せられた義援金をもとに、財団法人同潤会が作られた。同潤会は、木造の住宅とともに、燃えにくく地震に強い鉄筋コンクリートの集合住宅を、東京と横浜に16か所建てた。表参道の青山アパート、代官山アパート、江戸川アパートなどである。水洗の便所やガス、電気を備え、食堂や共同の浴場、娯楽の部屋を持つものもあった。集合住宅という住まい方を日本に根づかせる先がけとなった。同潤会は1941年に解散し、アパートは老朽化してほとんどが建て替えられた。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
1923年の関東大震災で、東京と横浜では数十万戸の家が焼け、あるいは倒れた。人々は、公園や空き地に建てられたバラックで冬を越した。日本の国内だけでなく、世界の国々から多額の義援金が寄せられた。
1924年5月、内務省は、その義援金の一部をもとに、財団法人同潤会を作った。「同潤」とは、同じく潤う、すなわち皆が恩恵を分かち合うという意味である。同潤会は、まず被災した人々のための木造の仮の住宅や、一戸建ての住宅を建て、続いて、燃えにくく地震に強い鉄筋コンクリートの集合住宅を建てた。
1926年、隅田川の東の中之郷に、最初の同潤会アパートが完成した。その後、青山、代官山、柳島、清砂通り、虎ノ門、大塚、江戸川など、東京と横浜に16か所のアパートが建てられた。それまでの日本には、鉄筋コンクリートの集合住宅はほとんど無かった。アパートの各戸には、電気、ガス、水道が引かれ、水洗の便所を備えるものもあった。共同の浴場、食堂、洗濯場、子どもの遊び場、娯楽室、屋上の物干し場を持つアパートもあった。
大塚女子アパートは、職業を持つ独身の女性のためのアパートで、エレベーターや食堂、音楽室を備えていた。江戸川アパートは、1934年に完成した最後の大規模なアパートで、中庭を囲む6階建ての建物に、家族向けの住戸と独身者向けの住戸を収め、「東洋一のアパート」と呼ばれた。同潤会は、住宅の造り方や住まい方を研究し、関東大震災のあとの住まいの近代化を担った。
戦時体制が強まった1941年、同潤会は解散し、住宅営団に引き継がれた。戦後、同潤会のアパートは、住む人々に払い下げられた。何十年もたつうちに建物は老朽化し、1990年代から2010年代にかけて、ほとんどが建て替えられた。表参道の青山アパートの跡には、2006年に表参道ヒルズが建ち、その一角に、もとのアパートの一部が再現されている。同潤会の試みは、戦後の公団住宅(公団住宅と2DK)へとつながっていった。