概要
クウェートに亡命していたサウード家の21歳が、40人で夜、リヤドの城壁を越え、夜明けにラシード家の総督を門で殺した。ワッハーブ派の戦士イフワーン。30年で、ナジュド、ハサー、ヒジャーズ(メッカとメディナ)。1932年、サウジアラビア王国。6年後、石油。
場所
24.69°N 46.72°E · サウジアラビア
関わった人(1)
イブン・サウードAD1875年頃–AD1953年11月9日 · 奪った本文
サウード家。18世紀の半ば、ディルイーヤの首長ムハンマド・イブン・サウードが、説教師ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブと組んだ(1744年)。ワッハーブ派(自分たちは「ムワッヒドゥーン(唯一神を信じる者)」)。聖者の墓、スーフィー、シーア派を「多神」として否定する。剣と説教で、アラビアの中央(ナジュド)を取り、1803年にメッカを取った。オスマンがエジプトのムハンマド・アリーに討たせ、1818年、ディルイーヤが壊された。第二次サウード国(1824〜91年)、リヤド。内紛で、北のハーイルのラシード家に負けて、1891年、クウェートへ亡命した。
アブドゥルアズィーズ(イブン・サウード)は1875年頃生まれ、15歳で亡命した。クウェートの首長ムバーラクの客。イギリスの政務官と会った。
1901年秋、40人(60人とも)で、クウェートを出た。砂漠。1902年1月15日の夜。リヤドの城壁を、椰子の幹を梯子にして越えた。20人。ラシード家の総督アジュラーンの家の隣の家に入って、女を縛って、夜明けまで待った。アジュラーンは毎朝、城砦(ムスマク)から家へ来た。門を出たところで襲った。アジュラーンは城砦へ逃げ、門が閉まる前に、アブドゥッラー・イブン・ジルウィ(従兄弟)が槍を投げた。槍は門に刺さった(ムスマクの門に、いまも槍の先が残っている)。アジュラーンは中で殺された。守備兵は降伏した。
「リヤドの奪回」。サウジアラビアの建国神話。
イフワーン(「同胞」)。ベドウィンをワッハーブ派の農村(ヒジュラ)に定住させて、戦士にした。1913年、オスマンからハサー(東部、後で石油が出る)を取った。1915年、イギリスと条約(ダーリーン)。1921年、ハーイル(ラシード家の終わり)。1924〜25年、ヒジャーズ(メッカとメディナ。フサインの息子アリーを追い出した。フサインはイギリスが見捨てた)。1926年、ヒジャーズの王。1929年、イフワーンが彼に反乱して(イギリスのイラクとの国境を認めないので)、サビラで機関銃で潰した。1932年9月23日、「サウジアラビア王国」。家の名前を国につけた、唯一の国。
1938年、石油。1945年2月14日、スエズ運河のグレート・ビター湖、巡洋艦クインシー。ローズヴェルトと。石油とアメリカの安全保障。それが80年続いている。
1953年11月9日、ターイフで死んだ。息子サウード、ファイサル、ハーリド、ファハド、アブドゥッラー、サルマーン。2015年から、サルマーンの息子ムハンマドが実権。