概要
1942年4月、フィリピンのバターン半島で、アメリカとフィリピンの七万を超える将兵が日本軍に降伏した。日本軍は、予想をはるかに超える捕虜を収容所まで百キロ近く歩かせる。暑さの中、食べ物も水もほとんど与えられず、倒れた者や遅れた者は殺された。行進とその後の収容所で、数千から一万を超える人が死んだとされる。捕虜の扱いの国際的な決まりを、日本の軍は守らなかった。戦後の裁判で、指揮官は責任を問われた。
場所
バターン半島位置は特定されていない(誤差 ±km)
14.64°N 120.48°E · フィリピン・バターン州
14.64°N 120.48°E · フィリピン・バターン州
本文
予想を超える捕虜。
1942年4月、フィリピンのバターン半島。
(1)アメリカとフィリピンの七万を超える将兵が、日本軍に降伏した。
(2)そして、日本軍は、予想をはるかに超える捕虜を、収容所まで百キロ近く歩かせた。
暑さの中の行進。
暑さの中。
(1)食べ物も水も、ほとんど与えられなかった。
(2)そして、倒れた者や遅れた者は殺された。
(3)さらに、行進とその後の収容所で、数千から一万を超える人が死んだとされる。
残ること。
捕虜の扱いの国際的な決まりを、日本の軍は守らなかった。
戦後の裁判で、指揮官は責任を問われた。捕虜になることを恥と教えた軍は、捕虜を人として扱えなかった。