人物

立花宗茂

Tachibana Muneshige
1567年 – AD1643年1月15日(享年76・推定)
江戸幕府重要度 3

概要

筑後柳川の大名。秀吉に西国無双と称えられた。関ヶ原で西軍につき改易されたが、20年後に旧領へ戻った唯一の大名。

本文

立花宗茂は、九州の大友氏の家臣の家に生まれ、豊臣秀吉に取り立てられて筑後柳川の大名になった武将である。関ヶ原の戦いで西軍について領地を失い、浪人となったが、徳川家に召し出されてふたたび大名になり、ついには元の柳川に戻った。関ヶ原で改易されたあと大名に返り咲いた者は他にもいるが、旧領を取り戻したのは宗茂ただ一人である。宗茂は晩年の名で、生涯に何度も名を改めている。

永禄10年(1567年)、豊後に、大友氏の重臣吉弘鎮理(のちの高橋紹運)の長男として生まれた。天正9年(1581年)、男子のいなかった大友家の重臣、戸次鑑連(立花道雪)がその器量を見込み、何度も頼みこんで養子に迎えた。宗茂は道雪の一人娘の誾千代の婿となり、筑前の立花山城を守る立花家を継いだ。若いころから実父と養父に従って秋月氏などとの戦いに出て、伏兵や夜襲で名を上げた。

天正13年(1585年)に道雪が陣中で病死すると、大友氏は南から勢いを増す島津氏に押された。翌年、島津の大軍が筑前に攻め入り、実父の紹運は岩屋城にこもって城兵とともに全滅した。宗茂は立花山城を守りぬき、島津軍が退くと追撃して城を取り返した。九州へ出兵した豊臣秀吉はこの働きを、忠義も武勇も九州一と称えた。天正15年(1587年)の九州平定ののち、宗茂は筑後柳川に領地を与えられ、大友氏から独立した秀吉直属の大名となった。秀吉はのちに諸大名の前で、東の本多忠勝と並べて宗茂を西国無双と褒めたと伝えられる(本多忠勝)。

文禄の役(文禄・慶長の役)では小早川隆景の隊に属して朝鮮に渡った。文禄2年(1593年)1月の碧蹄館の戦いでは先陣を務め、平壌から南下してきた明の大軍を少ない兵で食い止めた。多くの家臣を失う激戦だったが、この粘りが日本軍の勝利につながり、隆景は立花の三千は他家の一万に当たると評したという。慶長の役の終わりには、包囲された小西行長を救うため島津義弘らと水軍を出し、露梁の海戦に加わった。

文禄・慶長の役に関わる図版:Siege-of-Busanjin-1592
文禄・慶長の役Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで宗茂は西軍についた。秀吉の恩を理由にしたと伝えられる。ただし宗茂は近江の大津城の攻撃にあたっていて、9月15日の本戦には間に合わなかった。大津城を開城させた当日に本戦は終わっていた。大坂城に戻った宗茂は籠城して戦い続けることを毛利輝元に説いたが聞き入れられず、柳川へ帰った。帰り道、実父の仇である島津義弘の軍と同行することになり、討つべしという家臣を退けて、むしろ島津勢を守って帰ったと伝えられる。柳川では東軍についた鍋島勢と戦ったが、黒田如水(官兵衛)や加藤清正の勧めを受けて城を明け渡した。領地は取り上げられた。

浪人となった宗茂は、しばらく肥後の加藤清正のもとに身を寄せた。清正や前田利長から家臣になるよう誘われたが断り、由布惟信や十時連貞ら少数の家臣を連れて京へ、さらに江戸へ上った。離れて暮らしていた妻の誾千代は、慶長7年(1602年)に肥後で亡くなっている。慶長9年(1604年)、本多忠勝らのとりなしで江戸城に召し出され、徳川家康から5000石で書院番頭に任じられた。慶長11年(1606年)には陸奥の棚倉に1万石を与えられ、大名に戻った。のち3万石に加増され、このころから宗茂と名乗っている。

大坂の陣では、家康は宗茂が豊臣方につくことを心配して説得に努めたという。宗茂は徳川秀忠の側について戦った。元和6年(1620年)、幕府は宗茂に旧領の筑後柳川10万9200石を与えた。改易から20年後のことである。晩年は江戸にいることが多く、伊達政宗らとともに徳川家光のそばで戦国の話を語る相伴衆を務めた。寛永15年(1638年)には老齢をおして島原の乱の陣に加わり、総大将松平信綱を助けた。同じ年、養子の忠茂に家督を譲った。

大坂の陣に関わる図版:Osakarakuzyou (cropped)
大坂の陣Wikimedia Commons Utagawa Yoshitora · Public domain

寛永19年11月25日(1643年1月15日)、江戸の藩邸で亡くなった。76歳だった。戦の強さに加え、敗れた側にあっても筋を通し、浪人の身から元の領地へ戻ったその生き方は、多くの人の心をつかんできた。柳川藩の立花家は幕末まで続き、宗茂は養父道雪、妻誾千代とともに柳川の三柱神社に祀られている。

動画(1)

家臣と一緒に浪人生活!奇跡と感動の戦国武将【立花宗茂】を解説!非株式会社いつかやる家臣とともに浪人暮らしを経て旧領に戻った宗茂の生涯を語る
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