概要
農民から天下人になった。刀狩と検地で身分を固定し、晩年は朝鮮へ出兵する。
所属
日本関わったできごと(9)
侘び茶の大成AD1580年頃 · 庇護し、そして死を命じた本能寺の変AD1582年6月21日 · この後に台頭する山崎の戦いAD1582年7月2日(天正10年6月13日) · 大返し太閤検地AD1582年(天正10年)〜 · 命じた賤ヶ岳の戦いAD1583年6月11日(天正11年4月21日) · 勝った小牧・長久手の戦いAD1584年5月18日(天正12年4月9日) · 講和で刀狩令AD1588年8月29日(天正16年7月8日) · 出した秀吉の天下統一AD1590年 · 当人文禄・慶長の役1592年 · 命令本文
農民、あるいは足軽の子として生まれた。
信長に仕え、草履取りから重臣になった。
本能寺の変のとき、備中にいた。
10日足らずで京都へ戻り、明智光秀を破った。 「中国大返し」になる。
その速さが、後継争いを決めた。
やったことで大きいのが、太閤検地と刀狩になる。
全国の田畑を測り、生産高を石高で表した。 中間の権利を整理する。
そして農民から武器を取り上げた。
この二つで、武士と農民が分けられた。
自分が上がってきた道を、自分で塞いだことになる。
晩年、朝鮮へ二度出兵した。
その理由については、 明の征服を本気で考えていたとする説から、 恩賞用の土地が国内で尽きたという説まである。
その戦争の最中に死んだ。