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Person / 人

豊臣秀吉

Toyotomi Hideyoshi
AD1537年 – AD1598年(享年61・推定)
日本重要度 5

概要

農民から天下人になった。刀狩と検地で身分を固定し、晩年は朝鮮へ出兵する。

所属

日本

関わったできごと(9)

侘び茶の大成AD1580年頃 · 庇護し、そして死を命じた本能寺の変AD1582年6月21日 · この後に台頭する山崎の戦いAD1582年7月2日(天正10年6月13日) · 大返し太閤検地AD1582年(天正10年)〜 · 命じた賤ヶ岳の戦いAD1583年6月11日(天正11年4月21日) · 勝った小牧・長久手の戦いAD1584年5月18日(天正12年4月9日) · 講和で刀狩令AD1588年8月29日(天正16年7月8日) · 出した秀吉の天下統一AD1590年 · 当人文禄・慶長の役1592年 · 命令

本文

農民、あるいは足軽の子として生まれた。

信長に仕え、草履取りから重臣になった。

本能寺の変のとき、備中にいた。

10日足らずで京都へ戻り、明智光秀を破った。 「中国大返し」になる。

その速さが、後継争いを決めた。

やったことで大きいのが、太閤検地と刀狩になる。

全国の田畑を測り、生産高を石高で表した。 中間の権利を整理する。

そして農民から武器を取り上げた。

この二つで、武士と農民が分けられた。

自分が上がってきた道を、自分で塞いだことになる。

晩年、朝鮮へ二度出兵した。

その理由については、 明の征服を本気で考えていたとする説から、 恩賞用の土地が国内で尽きたという説まである。

その戦争の最中に死んだ。

動画(1)

豊臣秀吉と徳川家康 〜歴史を動かす信長イズムの継承〜【52-1 COTEN RADIO 秀吉・家康編1】歴史を面白く学ぶコテンラジオ_COTEN RADIO信長の政策を二人がどう引き継ぎ、どこで分かれたかを追うシリーズの第1回