概要
家康の三男。関ヶ原に遅れた(上田で真田に足止め)。2代将軍。妻は江(市の三女、淀殿の妹)。江を恐れた、と言われる。父の死後、福島正則を改易し、弟忠輝を流し、娘和子を後水尾天皇に入れた。武家諸法度、禁中並公家諸法度。地味で堅い。大御所として家光を見て、死んだ。
関わったできごと(2)
江戸幕府の成立AD1603年 · 2代武家諸法度AD1615年8月30日(元和元年7月7日) · 名で本文
1579年、浜松。家康の三男。母は西郷局。長男信康は1579年に信長の命で切腹、次男秀康は秀吉の養子(結城)。秀忠が残った。
1590年、小田原の翌年、秀吉が江(浅井長政と市の三女、淀殿の妹、秀忠より6歳年上、3度目の結婚)を秀忠に嫁がせた。秀忠は江を恐れ、側室を持てず、家光と忠長と5人の娘は江が産んだ。家光の乳母の春日局は例外で、保科正之(庶子)は江に隠して育てられた。
1600年、関ヶ原。3万8000を率いて中山道を来て、上田で真田昌幸に足止めされ、戦いの日に美濃に着かなかった。家康は怒って、3日会わなかった。
1605年、将軍。家康は駿府で大御所として全部を決めた。1616年、家康が死んだ。秀忠は変わった、と言われる。1619年、福島正則を改易した(広島城の無断修理)。弟の松平忠輝を改易。本多正純を改易。1620年、娘和子を後水尾天皇に入れた(徳川の娘が中宮に)。紫衣事件で天皇の権限を削り、後水尾が退位して、和子の娘が明正天皇(859年ぶりの女帝)。武家諸法度を守らせた。
1623年、家光に将軍を譲り、自分は大御所。1626年、江が死んだ。1632年、江戸城西の丸で死んだ。54歳。芝の増上寺。
地味で、堅く、父と子の間で、あまり語られない。家康が作った幕府を、秀忠が固めた。