プトレマイオス1世
概要
アレクサンドロスの将軍。エジプトを継ぎ、クレオパトラ7世まで続く王朝を開いた。
所属
プトレマイオス朝エジプト関わったできごと(3)
ディアドコイ戦争BC322年 · 生き残ったペルディッカスの死BC321年 · 遺体を奪ったイプソスの戦いBC301年 · 連合の一員(戦場には来ていない)本文
紀元前367年頃、マケドニアの貴族ラゴスの子として生まれた。のちに彼が開いた王朝は、父の名をとってラゴス朝とも呼ばれる。アレクサンドロス3世より10歳ほど年上だが、少年時代から王子の学友の一人だったとされる。王子がフィリッポス2世の怒りを買ったとき、それに連座して国を追われた側近の中に、プトレマイオスの名がある。

アレクサンドロスが東方遠征に出ると、プトレマイオスもそれに従った(アレクサンドロスの東方遠征)。初めは目立つ存在ではなかったが、やがて王の身辺を守る7人の側近護衛官の一人に取り立てられる。中央アジアでは、ペルシア王ダレイオス3世を殺して王を名乗ったベッソスを捕らえる役目を果たした。インドでも部隊を率いて戦っている。紀元前324年、スーサで行われたマケドニア人とペルシア人の集団結婚では、ペルシア貴族の娘を妻に迎えた。
紀元前323年、アレクサンドロスがバビロンで急死すると(アレクサンドロスの死)、将軍たちは帝国の分担を話し合った。プトレマイオスが望んだのはエジプトの総督の地位だった。広大なアジアを狙う者が多いなかで、エジプトを選んだ理由ははっきりしている。ナイルがもたらす穀物の富があり、東西を砂漠、北を海に囲まれて攻められにくい。帝国全体を手に入れるより、確実に守れるものを取ったのである。

翌年、彼は大胆な手に出た。アレクサンドロスの遺体は、豪華な霊柩車でバビロンからマケドニアへ運ばれることになっていた。プトレマイオスはその行列をシリアで待ち受け、遺体をエジプトへ持ち去った。遺体は初めメンフィスに、のちに大王自身が築いた都アレクサンドリアに葬られた。大王の墓を持つことは、後継者としての正統性の証になった。この墓の場所は、いまも見つかっていない。
帝国の摂政ペルディッカスは怒ってエジプトに攻め込んだが、ナイルの渡河に失敗して多くの兵を失い、部下に殺された。そこから40年にわたる後継者たちの争いが続く(ディアドコイ戦争)。プトレマイオスは、アジアの大半を押さえたアンティゴノスと争い、セレウコス1世らと手を組んだ。紀元前305年頃には、ほかの将軍たちに続いて王を名乗った。ロドス島がアンティゴノスの息子に包囲されたとき援助を送り、島の人々から「救済者(ソーテール)」と呼ばれたとされる。この呼び名がのちに彼の称号になった。紀元前301年のイプソスの戦いでアンティゴノスが敗死した後、プトレマイオスはパレスチナとシリア南部を押さえ、この土地をめぐってセレウコス朝と長い争いが続くことになる。

エジプトの治め方は二重だった。ギリシア人とマケドニア人の兵士や役人を移住させて支配層とし、行政はギリシア語で行った。一方で、エジプトの人々に対してはファラオとして振る舞い、神殿を保護し、神官たちと手を結んだ。エジプトの神オシリスとアピスにギリシアの神々の性格を重ねた新しい神セラピスの信仰を広めたのも、二つの民を一つの信仰でつなごうとする試みだったとされる。
都アレクサンドリアには、学問の殿堂ムセイオンと、世界中の書物を集める図書館が作られた(アレクサンドリアの図書館)。その構想は、アテナイから亡命してきた学者デメトリオスの助言のもと、プトレマイオス1世の時代に始まり、息子の代に形になったと考えられている。港に入る船から書物を取り上げて写させ、写しを返して原本を留めた、という有名な話は、もう少し後の王の代のこととして伝えられている。海の目印となるファロスの大灯台の建設も、彼の晩年に始まった。

数学者のエウクレイデスもこの都で教えた。王がもっと手早く幾何学を学ぶ方法はないかと尋ね、エウクレイデスが、幾何学に王のための道はありません、と答えたという逸話が、後世の書物に残る。
プトレマイオスは自ら、アレクサンドロスの遠征記も書いた。本そのものは失われたが、2世紀のアッリアノスがこれを主な史料の一つとして『アレクサンドロス大王東征記』を書いたため、その内容の一部が伝わっている。遠征をともにした当事者の記録だが、自分の手柄を大きく書いているとの指摘もある。

紀元前285年、80歳を超えたプトレマイオスは、息子のプトレマイオス2世を共同の王とし、実権を譲った。紀元前282年に亡くなった。後継者の争いを生き抜いた将軍たちの多くが戦場や暗殺で倒れたなかで、寝床で天寿を全うした数少ない一人だった。
彼が開いた王朝(プトレマイオス朝)は、クレオパトラ7世がローマに敗れて命を絶つまで、およそ300年続いた。歴代の男子の王は、みなプトレマイオスを名乗っている。