トランプの当選
概要
公職の経験のない実業家が、世論調査を裏切って大統領になった。得票は相手より300万少なかった。同じ年のブレグジットと並んで、戦後の秩序への不信が票になった年とされる。
場所
38.91°N -77.04°E · アメリカ合衆国
本文
2015年6月16日、不動産業者でテレビのリアリティ番組の司会者として知られたドナルド・トランプは、ニューヨークのトランプ・タワーのエスカレーターで降りてきて、大統領選挙への立候補を表明した。演説でトランプは、メキシコは最良の人々を送ってこないと言い、国境に壁を作ると約束した。年末にはイスラーム教徒の入国を全面的に止めるべきだとも語った。公職にも軍にも就いたことのない人物の出馬は、当初は余興のように扱われた。
共和党の予備選には17人が名乗りを上げた。元大統領の弟ジェブ・ブッシュ、上院議員のマルコ・ルビオとテッド・クルーズら、党の本流の政治家たちである。トランプは相手に「低エネルギーのジェブ」「嘘つきテッド」「ちびのマルコ」とあだ名をつけ、討論会と集会とツイッターで話題をさらった。中西部の工場の町で、自由貿易協定と移民が仕事を奪ったと訴え、「アメリカを再び偉大に」と繰り返した。2016年5月、トランプは党の指名を確実にし、7月のクリーヴランドの党大会で、自分だけがこの国を直せると語った。

民主党は、元国務長官で元大統領夫人のヒラリー・クリントンを候補に選んだ。予備選では、民主社会主義者を名乗るバーニー・サンダースが若者の熱狂的な支持を集めて、思わぬ接戦になった。クリントンにつきまとったのは、国務長官時代に公務のメールを私的なサーバーで扱っていた問題である。7月5日、連邦捜査局(FBI)のコミー長官は、起訴は勧めないが、極めて不注意だったと述べた。
秋の選挙戦は荒れた。10月7日、トランプが女性について卑猥な言葉で語る11年前の録音が公表され、共和党の中からも辞退を求める声が上がった。その同じ日、内部告発サイトのウィキリークスが、クリントン陣営の選対本部長ポデスタのメールを公開し始めた。アメリカの情報機関はのちに、メールを盗み出したのはロシア軍の情報機関だったと結論している。10月28日、投票日の11日前、コミー長官は、メール問題に関わる新たなメールが見つかったと議会に書簡で伝え、11月6日になって、結論は変わらないと発表した。

投票日の11月8日、主な予測はクリントンの勝ちを見込んでいた。ニューヨーク・タイムズの予測はクリントンが勝つ確率を85%、ハフィントン・ポストは98%、比較的慎重だった統計サイトの538でも71%とした。夜になると、フロリダ、オハイオ、ノースカロライナという接戦の州をトランプが次々に取った。そして民主党が長く勝ち続け「青い壁」と呼ばれてきた中西部のウィスコンシン、ミシガン、ペンシルヴェニアが、わずかな差でトランプに傾いた。三州を合わせた差は、7万7000票あまりにすぎなかった。
選挙人の数は、トランプ304、クリントン227(一部の選挙人が誓約に背いて別の人に投票した)。全国の得票ではクリントンが286万票多かったが、各州の勝者がその州の選挙人を総取りする仕組みのため、トランプが勝った。全国の得票で負けた候補が大統領になったのは、1824年、1876年、1888年、2000年に続いて5度目である。

翌日の未明、トランプはすべてのアメリカ人の大統領になると勝利を宣言した。クリントンは敗北を認める演説で、最も高く、最も硬いガラスの天井をまだ打ち破れていないと支持者に語った。開票の夜には株価の先物が急落し、メキシコの通貨ペソが売られたが、ダウ平均は翌日から上がり始めた。
なぜトランプが勝ったのかは、いまも論じられている。製造業が衰えた「ラストベルト」の町で、大学を出ていない白人の有権者が大挙してトランプに投票した。グローバル化に取り残されたという思い、ワシントンの政治家とメディアへの怒り、移民への不安。そこに、ロシアのネット工作、フェイスブックの個人データを選挙に使ったケンブリッジ・アナリティカの問題、投票直前のコミー書簡の影響が議論として加わる。どれがどれだけ効いたのか、決着はついていない。

同じ2016年の6月、イギリスは国民投票でEUからの離脱を選んでいた(ブレグジット)。この二つの投票は、冷戦の終わり(ベルリンの壁の崩壊)から続いてきた自由貿易と国際協調の時代に、多くの有権者が不信を突きつけた出来事として並べて語られるようになった。
トランプは2020年の選挙でバイデンに敗れ、結果を認めず、2021年1月6日には支持者が連邦議会議事堂に押し入った(アメリカ議事堂襲撃)。それでもトランプは2024年の選挙で再び勝ち、任期を連続せずに二度大統領になった、19世紀のクリーヴランド以来の人物となった。2016年の当選は、一度の番狂わせではなかったのである。