概要
1990年6月、前年1989年の日本の合計特殊出生率、すなわち一人の女性が一生のうちに産む子どもの数の見込みが、1.57だったと発表された。迷信のために子どもを産み控える人が多かった1966年の丙午の年の1.58を下回る、戦後で最も低い数字だった。この発表は「1.57ショック」と呼ばれ、少子化が社会の問題として広く意識されるきっかけになった。政府は1994年のエンゼルプランを皮切りに、保育所の整備や育児休業の制度などに取り組んだが、出生率はその後も下がり続け、2005年には1.26まで落ちた。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
戦後の日本の出生率は、第一次ベビーブームのあと急に下がり(第一次ベビーブーム)、1950年代の後半からは、一人の女性が一生のうちに産む子どもの数の見込み、すなわち合計特殊出生率が2前後で落ち着いていた。人口を保つのに必要な水準はおよそ2.07で、それに近い数字だった。
ただ一度、その数字が大きく落ちた年があった。1966年の丙午の年である。この年に生まれた女性は気性が激しく夫の命を縮めるという迷信を気にして、多くの夫婦が出産を避け、合計特殊出生率は1.58まで下がった(丙午の年に子が減る)。翌年にはもとの水準に戻り、1.58は特別な年の、例外の数字とされていた。
1970年代の半ばから、出生率は再び下がり始め、2を割り込んだまま戻らなくなった。結婚する年齢が上がり、結婚しない人が増えた。1990年6月、厚生省は、前年1989年の合計特殊出生率が1.57だったと発表した。迷信のせいでも、戦争のせいでもないのに、丙午の年を下回ったのである。新聞はこれを「1.57ショック」と書き立て、子どもが減ることが国の将来に関わる問題として、初めて広く意識されるようになった。
政府は1994年、保育所を増やし、育児休業を取りやすくするなどの計画「エンゼルプラン」を作った。1991年には育児休業法ができ、男女のどちらでも子が1歳になるまで休めるようになっていた。だが、長時間働くことが当たり前の職場、子育てと仕事の両立の難しさ、教育にかかる費用の重さ、若い世代の雇用の不安定さは変わらず、出生率は下がり続けた。
2005年、合計特殊出生率は1.26まで落ちた。その後わずかに持ち直したが、2010年代の後半から再び下がり、2023年には1.20と過去最低を更新し、生まれた子どもの数は73万人を下回った。2023年には子ども家庭庁が作られた。少子化は日本だけでなく、韓国、台湾、中国、南ヨーロッパなど多くの国で進み、韓国の出生率は1を大きく割り込んでいる。