概要
アントニウス・オクタウィアヌス・レピドゥスが結び、政敵を粛清した。キケロもここで殺される。
場所
ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
関わった人(3)
マルクス・アントニウスBC83年–BC30年 · 参加アウグストゥスBC63年9月23日–14年8月19日 · 参加キケロBC106年1月3日–BC43年12月7日 · 犠牲者本文
第一回と違い、こちらは法によって設けられた公的な職だった。 「国家再建三人委員会」。5年の任期で、 法律を作り、官職を任命し、裁判なしで処断できる。
スッラの前例にならって、名簿が掲げられた。 元老院議員300人、騎士2000人が挙げられたとされる。 三人が互いの縁者を交換で差し出した。 レピドゥスは兄を、アントニウスは伯父を、 オクタウィアヌスはキケロを渡した。
キケロは逃げる途中で捕らえられた。 アントニウスを弾劾する演説を14回行っていた。 首と、その演説を書いた右手が切り落とされ、 フォルムの演壇に釘で打ち付けられた。
共和政を弁論で守ろうとした人の最期として、 これ以上ないほど象徴的な殺され方になっている。