概要
休暇から戻ったフレミングが、放置したブドウ球菌のシャーレに青カビが生えて、周りの菌が溶けているのを見た。「面白い」。カビの汁を「ペニシリン」と名づけて、論文を書いて、精製できず、忘れられた。1940年、オックスフォードのフローリーとチェインが精製して、マウスで試し、1941年、人で。アメリカが大量生産して、1944年、ノルマンディーの負傷兵に。感染症で死ぬのが当たり前だった時代が終わった。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
関わった人(1)
アレクサンダー・フレミングAD1881年8月6日–AD1955年3月11日 · 見つけた本文
ロンドンのパディントン、セント・メアリー病院の予防接種部。フレミングは47歳の細菌学者で、部屋は散らかっていて、シャーレを積んで放置する癖があった。1928年8月、休暇でサフォークへ。9月3日、戻った。
ブドウ球菌を培養したシャーレを流しの上に積んでいた。一つを取り上げて、前の助手プライスに見せた。「これは面白い」。青緑のカビが生えて、カビの周りだけ、菌が溶けて透明になっていた。カビは、階下の研究室(ラ・トゥーシュがアレルギーの研究で色々なカビを扱っていた)から風で飛んで来たペニシリウム・ノタトゥム。夏が涼しくてカビが先に育ち、そのあと暑くなって菌が育った、と後で再現された。運。
カビを培養して、汁を濾した。汁は、ブドウ球菌、連鎖球菌、肺炎球菌、ジフテリア菌を殺し、白血球を傷めなかった。「ペニシリン」と名づけた(1929年3月)。論文(『英国実験病理学雑誌』)。反応はなかった。フレミングは精製できず(不安定で、化学者でなかった)、傷の表面に塗ることを少し試して、ワクチンの仕事に戻った。10年、実験室の中で「培地から他の菌を除く便利な物質」として使われた。
1938年、オックスフォードのハワード・フローリー(病理学者、オーストラリア人)とエルンスト・チェイン(化学者、ドイツからのユダヤ人難民)が、抗菌物質を探していて、フレミングの論文を見つけた。1940年5月25日、8匹のマウスに連鎖球菌、4匹にペニシリン。翌朝、4匹が生きて、4匹が死んでいた。「奇跡だ」とチェイン。1941年2月12日、警官アルバート・アレクサンダー(薔薇の棘から敗血症)。5日で回復し、ペニシリンが尽きて(尿から回収して再使用しても)、死んだ。
戦争。イギリスは作れない。フローリーとヒートリーは1941年7月、アメリカへ。イリノイのピオリアの農務省の研究所で、コーンスティープ・リカー(トウモロコシの浸漬液)とメロンのカビの株で、収量が100倍。ファイザー、メルク、スクイブ。深部タンク培養。1943年、1匹で使い切った量が、1944年6月、ノルマンディーの全部の負傷兵に。1945年、月に6500億単位。
1945年、フレミング、フローリー、チェイン、ノーベル賞。ヒートリーは貰えなかった。フレミングは「奇跡の薬を見つけた孤独な天才」として世界的に有名になり、フローリーは有名にならなかった。フレミングは講演で「フローリーとチェインがいなければ何もなかった」と言った。
1945年、フレミングはノーベル講演で警告した。「無知な人が、少ない量で自分に使って、菌を耐性にする」。