概要
1970年代のジャマイカでは、二大政党がそれぞれ町の貧しい地区の銃を持つ若者を抱え、選挙のたびに殺し合いが起きていた。1976年、レゲエの歌い手ボブ・マーリーは自宅で銃撃されて傷を負い、国を離れる。1978年4月22日、帰国したマーリーは、首都キングストンの競技場で開かれた平和のためのコンサートに立ち、演奏の途中で、敵対する首相マイケル・マンリーと野党の党首エドワード・シアガを舞台に呼び上げ、二人の手を自分の頭の上で握らせた。暴力は止まらなかったが、その場面は、小さな島の音楽が世界に語りかけた姿として残った。
場所
17.97°N -76.79°E · ジャマイカ
本文
ジャマイカは1962年にイギリスから独立した。首都キングストンの貧しい地区では、二つの大きな政党、人民国家党とジャマイカ労働党が、それぞれ地区の若者たちに銃と仕事を与えて手下にしていた。選挙が近づくたびに、地区どうしの撃ち合いで多くの人が死んだ。
レゲエは、1960年代の終わりにこの町で生まれた音楽である。ボブ・マーリーはトレンチタウンの貧しい地区で育ち、ラスタファリの信仰に立って、アフリカへの帰還と、抑圧からの解放を歌った。1970年代、彼の歌はイギリスのレコード会社を通じて世界に売られ、第三世界の声として聞かれるようになる。
1976年12月、選挙を前に、マーリーが政府の後押しする無料のコンサートに出ることになると、その2日前に、武装した男たちが彼の家を襲った。マーリーは胸と腕を撃たれたが、予定どおり舞台に立ち、その後ロンドンへ移った。1978年、対立する両派のギャングの顔役たちが、休戦を結んでマーリーに帰国を頼む。
4月22日、キングストンの国立競技場で「ワン・ラブ平和コンサート」が開かれた。マーリーは演奏の途中で、首相マイケル・マンリーと野党の党首エドワード・シアガを舞台に呼び上げ、二人の手を取って、自分の頭の上で握り合わせた。しかし休戦は長く続かず、1980年の選挙では数百人が殺される。マーリーは1981年、36歳でがんで亡くなった。彼の歌は、いまも世界の抵抗と和解の場で歌われている。