← 地図で見る
Event / できごと

ボブ・マーリーの平和コンサート

One Love Peace Concert
AD1978年4月22日
重要度 3
カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国ブラジルメキシコペルーコロンビアベネズエラエクアドルガイアナスリナムニカラグアホンジュラスキューバグアテマラ仏領ギアナパナマAD1978年4月22日キングストン
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1978年4月22日の版図を描いています(17勢力)。

概要

1970年代のジャマイカでは、二大政党がそれぞれ町の貧しい地区の銃を持つ若者を抱え、選挙のたびに殺し合いが起きていた。1976年、レゲエの歌い手ボブ・マーリーは自宅で銃撃されて傷を負い、国を離れる。1978年4月22日、帰国したマーリーは、首都キングストンの競技場で開かれた平和のためのコンサートに立ち、演奏の途中で、敵対する首相マイケル・マンリーと野党の党首エドワード・シアガを舞台に呼び上げ、二人の手を自分の頭の上で握らせた。暴力は止まらなかったが、その場面は、小さな島の音楽が世界に語りかけた姿として残った。

場所

キングストン
17.97°N -76.79°E · ジャマイカ

本文

ジャマイカは1962年にイギリスから独立した。首都キングストンの貧しい地区では、二つの大きな政党、人民国家党とジャマイカ労働党が、それぞれ地区の若者たちに銃と仕事を与えて手下にしていた。選挙が近づくたびに、地区どうしの撃ち合いで多くの人が死んだ。

レゲエは、1960年代の終わりにこの町で生まれた音楽である。ボブ・マーリーはトレンチタウンの貧しい地区で育ち、ラスタファリの信仰に立って、アフリカへの帰還と、抑圧からの解放を歌った。1970年代、彼の歌はイギリスのレコード会社を通じて世界に売られ、第三世界の声として聞かれるようになる。

1976年12月、選挙を前に、マーリーが政府の後押しする無料のコンサートに出ることになると、その2日前に、武装した男たちが彼の家を襲った。マーリーは胸と腕を撃たれたが、予定どおり舞台に立ち、その後ロンドンへ移った。1978年、対立する両派のギャングの顔役たちが、休戦を結んでマーリーに帰国を頼む。

4月22日、キングストンの国立競技場で「ワン・ラブ平和コンサート」が開かれた。マーリーは演奏の途中で、首相マイケル・マンリーと野党の党首エドワード・シアガを舞台に呼び上げ、二人の手を取って、自分の頭の上で握り合わせた。しかし休戦は長く続かず、1980年の選挙では数百人が殺される。マーリーは1981年、36歳でがんで亡くなった。彼の歌は、いまも世界の抵抗と和解の場で歌われている。

同じ時代のできごと

キーリング曲線AD1958年ビニール傘AD1958年回転寿司の誕生AD1958年かみ合うブロックAD1958年1月28日即席麺AD1958年集積回路AD1958年9月12日東京タワーAD1958年12月23日大躍進1958年
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD1978年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります
20世紀以降のできごと一覧 →人物一覧 →
歴史データベースとは? →