ミネソタ飢餓実験
概要
第二次世界大戦の末、戦後の飢餓の救援に役立てるため、ミネソタ大学で36人の志願者が半年間食事を減らし、その心身の変化を記録した実験。
場所
44.98°N -93.27°E · アメリカ・ミネソタ州
本文
1944年、ヨーロッパとアジアでは戦争のために食料が途絶え、何百万もの人々が飢えに直面していた。戦争が終われば、連合国は飢えた人々を救わなければならない。しかし、長く飢えた体に何が起き、どう食べさせれば回復するのかについて、確かな知識はほとんどなかった。
この問いに取り組んだのが、ミネソタ大学の生理学者アンセル・キーズである。彼は1940年に大学の生理衛生研究所を作り、戦時中は陸軍のために兵士の携帯食、いわゆるKレーションの開発にも関わっていた。キーズは陸軍省の許しを得て、実験の参加者を良心的兵役拒否者の中から募った。兵役を拒む者は、代わりに民間の公共の仕事につくことになっていた。

募集の冊子は全国の作業所に配られ、400人を超える志願があった。研究者たちは各地を回って面接と検査を行い、体と心が健康で、つらい状態でも人とうまくやっていけ、救援という目的に共感している36人を選んだ。全員が22歳から33歳の白人の男性で、15人はメノナイトやクエーカーなど、平和を重んじる教会の信者だった。
実験は1944年11月19日に始まり、1945年12月20日まで続いた。最初の12週間は、1日およそ3200キロカロリーの食事で体の状態をそろえ、さまざまな検査で健康なときの記録をとった。続く24週間が飢餓の期間で、食事はいきなり半分の1日およそ1560キロカロリーに減らされた。食事は1日2回で、じゃがいも、カブ、ルタバガ、パン、マカロニなど、戦争末期のヨーロッパの人々が口にしていたような食べ物が出された。研究者は一人ひとりの体重が予定の曲線に沿って下がるよう、パンとじゃがいもの量を毎週調整し、半年で体重の4分の1を落とさせた。そのあいだも参加者は決められた作業をこなし、毎週35キロ歩き、日記をつけた。

体の変化は大きかった。体温、呼吸、脈拍が下がり、体を動かさずにいるときに使うエネルギーが落ちた。手足がむくむ者もいた。体は少ない食べ物で生き延びようと、自らの働きを抑えていった。
心の変化はさらに目立った。参加者の多くが、ひどい落ち込みやいらだちに襲われた。人格を測る検査では、抑うつや、病気への過剰な不安が強まった。食べ物のことばかり考えるようになり、食事をゆっくり時間をかけて食べ、食べ物の話や料理の本に没頭した。異性への関心はほとんど消え、人づきあいを避けるようになった。集中力や判断力が落ちたと感じる者が多かったが、検査の上では知的な力の低下は見られなかった。
飢餓の期間のあとは、回復の期間だった。最初の12週間は4つの組に分けて食事の量や栄養の補い方を変え、どのやり方が回復に効くかを比べた。最後の8週間は好きなだけ食べることが許された。意外なことに、多くの参加者にとって最もつらかったのは、この回復の期間だった。食べても食べても満たされない気持ちが続き、ある参加者は斧で自分の指を3本切り落とした。本人にも、わざとだったのか事故だったのかわからなかったという。規則を破って食べた2人は実験から外された。
実験の結果は、まず手早くまとめた冊子として、戦後のヨーロッパとアジアで救援にあたる人々に配られた。時を同じくして、オランダでは占領下の「オランダの飢餓の冬」が起き、多くの人が飢えていた。回復には単にカロリーを与えるだけでは足りず、時間をかけて十分な量を食べさせる必要があることなどが示された。キーズたちは1950年に、全2巻1385ページの『人間の飢餓の生物学』として全体の結果を発表した。
この実験は、のちに摂食障害の理解にもつながった。拒食症や過食症の人に見られる、食べ物へのとらわれや気分の落ち込み、人を避けることの多くが、飢えそのものから生じうることを示したからである。キーズはその後、食事と心臓病の関係の研究でも知られ、2004年に100歳で亡くなった。健康な人を半年も飢えさせるこの実験は、いまの研究倫理のもとでは行うことができない。