ジャーマンウイングス9525便墜落事故
概要
2015年、バルセロナ発デュッセルドルフ行きの旅客機がフランスのアルプスに墜落し150人全員が死亡。副操縦士が意図して墜落させた。
場所
44.28°N 6.44°E · フランス・アルプ=ド=オート=プロヴァンス県
本文
2015年3月24日、スペインのバルセロナからドイツのデュッセルドルフへ向かっていたジャーマンウイングス9525便(エアバスA320)が、フランス南東部のアルプスの山中に墜落し、乗客144人と乗員6人の150人全員が死んだ。のちの調査で、副操縦士が機長を操縦室から締め出し、意図して機体を降下させて山にぶつけたことが明らかになった。
ジャーマンウイングスは、ドイツの大手航空会社ルフトハンザが持つ格安航空会社である。この日の便は、予定より26分遅れて午前10時1分にバルセロナを離陸した。乗客の中には、スペインでの交換留学から帰るドイツの町ハルターン・アム・ゼーの高校生16人と教師2人、オペラ歌手などがいた。乗っていた人の国籍は19か国に及んだ。
午前10時30分、操縦士はフランスの管制の指示に応えている。その直後の10時31分、トゥーロンの近くでフランスの海岸を越えた機は、許可の無いまま高度1万1600メートルの巡航高度から降り始めた。管制官は呼びかけを繰り返したが応答はなく、空軍の戦闘機も緊急発進した。約10分の降下ののち、10時41分、機はプラ=オート=ブレオンヌの山腹に時速700キロで激突した。機体は粉々に砕け、いちばん大きな破片でも自動車ほどの大きさしかなかった。現場は道路も無い険しい谷で、破片は2平方キロにわたって散らばり、捜索隊はヘリコプターで入るしかなかった。12キロ離れた地震計も激突の揺れを記録している。高校生を失ったハルターンの町長は、この日を町の歴史で最も暗い日だと語った。
回収された記録装置が真相を語った。巡航に入ってまもなく、機長が操縦室を出た。副操縦士は一人になると扉を内側から閉ざし、自動操縦の高度を100フィート(約30メートル)に設定して降下を始め、途中で何度も速度を上げた。戻った機長は扉を叩いて開けるよう求めたが、副操縦士は答えなかった。
操縦室の扉は、9・11同時多発テロのあと、乗っ取り犯の侵入を防ぐために頑丈に作られ、中から施錠できるようになっていた。外から緊急に開けようとしても、中の操縦士が拒めば開かない仕組みだった。乗客を守るための仕組みが、中にいる操縦士自身が危険になったとき、誰にも止められない壁になったのである。

27歳の副操縦士は、かつて自殺のおそれで治療を受けたことがあり、事故の直前にも医師から仕事に就けないとする診断を受けていた。だが彼はそれを会社に知らせず、乗務に就いていた。検察は事故の2日後に、副操縦士が故意に墜落させた疑いを公表し、世界に衝撃を与えた。フランスの航空事故調査局(BEA)は2015年5月の中間報告を経て、2016年3月13日の最終報告で、副操縦士が意図して墜落させたと結論づけた。報告は、患者の秘密を守る医師の義務と公共の安全とのあいだで、どのような場合に医師が当局へ知らせるべきかを、各国がはっきり定めるよう求めた。
事故の3日後、欧州航空安全機関は、操縦室に常に2人以上の乗員がいるよう航空会社に勧め、多くの航空会社がこれを取り入れた。ただし、かえって別の危険を生むという意見もあり、この決まりは2017年までに取りやめられていった。操縦室に2人を置く運用は、アメリカの航空会社ではそれ以前から広く行われていたもので、ヨーロッパでもこの事故をきっかけに一時広まったのである。ルフトハンザは犠牲者の遺族に補償金を支払った。
航空の安全は、機体の故障や天候、外からの攻撃に備えることで高められてきた。この事故は、操縦する人の心の健康をどう見守り、本人が隠したときにどう気づくかという、仕組みだけでは解きにくい問いを突きつけた。その問いは、いまも航空業界の課題として残っている。