概要
1947年2月12日、パリの新しいデザイナー、クリスチャン・ディオールは、最初の作品の発表会を開いた。細く絞った腰、なで肩、ふくらんで広がる長いスカート。戦争中の、布を節約した角ばった肩の短いスカートとはまるで違う、華やかで女らしい服だった。アメリカの雑誌の編集長が「なんて新しい装い(ニュールック)でしょう」と言い、それが呼び名になった。一着に何十メートルもの布を使う服は、物資がまだ配給の時代に贅沢すぎると抗議も受けた。それでもニュールックは世界で大流行し、パリは流行の都の座を取り戻した。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
第二次世界大戦の間、ヨーロッパとアメリカでは、布は軍服に回され、民間の服は布の量を厳しく制限された。女性の服は、角ばった肩パッドの上着と、膝丈の細いスカートが当たり前になった。ドイツに占領されたパリでは、高級な服の店の多くが閉じ、流行の都の座はニューヨークに奪われかけていた。
クリスチャン・ディオールは、1905年、ノルマンディーの裕福な肥料会社の家に生まれた。若いころは画廊を営んだが、大恐慌で家が破産し、服のデザイン画を売って暮らしを立てた。戦後、繊維業の大富豪マルセル・ブサックの出資を得て、1946年、パリのモンテーニュ通りに自分の店を開いた。
1947年2月12日、ディオールは最初の作品の発表会を開いた。モデルたちが着ていたのは、なで肩の柔らかい上着で、腰は細く絞られ、その下から、何枚ものペチコートで大きく膨らませた、ふくらはぎまでの長いスカートが花のように広がっていた。ディオールはこの作品群を「花冠」と名づけた。発表会に来ていたアメリカの雑誌『ハーパーズ・バザー』の編集長カーメル・スノウは、「ディオールさん、まるで革命です。あなたのドレスは、なんて新しい装い(ニュー・ルック)なのでしょう」と言ったと伝えられ、それが呼び名になった。
ニュールックの服は、一着に何十メートルもの布を使った。イギリスではまだ布が配給されていた時代で、政治家たちは贅沢だと批判した。パリでは、ディオールの服を着たモデルが、市場の女性たちに服を引き裂かれる騒ぎも起きた。アメリカでは、長いスカートで脚を隠すことに反対する女性たちの団体も作られた。
それでも、戦争の窮乏に疲れた人々は、華やかで女らしい服に熱狂した。ニュールックは世界に広まり、型を写した既製服が大量に作られた。パリは、再び世界の流行の都の座を取り戻した。ディオールは、1957年に急死するまでの10年間、毎シーズン新しい形を発表し、香水や靴、ストッキングなどにも自分の名前をつけて売り、デザイナーの名前を商品にする商売の形を作った。一方、復帰したシャネルは、ニュールックを、女性を再び締めつける服だと批判した(シャネルのリトル・ブラック・ドレス)。