概要
戦争が終わった日本の町には、空襲や引き揚げで親を失った子どもたちがあふれていた。駅の地下道で寝起きし、靴磨きや物乞いで生きる子どもたちは「浮浪児」と呼ばれ、警察に追われ、施設に収容された。1947年12月12日に公布された児童福祉法は、すべての子どもが心身ともに健やかに生まれ育つことを保障され、愛護されなければならず、国と地方の自治体は保護者とともにその責任を負うと定めた。親のいない子どもだけでなく、すべての子どもを対象にした法だった。1951年の子どもの日には、子どもは人として尊ばれると書き出す児童憲章が定められた。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
1945年の敗戦のとき、日本には、空襲や戦場、引き揚げの途中で親を失った子どもたちが大勢いた。1948年の厚生省の調査では、親を失った子どもは十二万人を超えていた。上野駅の地下道などには、行き場のない子どもたちが寝起きし、靴磨きや物売り、ときには盗みをして飢えをしのいだ。社会は彼らを「浮浪児」と呼び、警察は「狩り込み」と称して子どもたちを捕まえ、施設に送り込んだ。施設から逃げ出す子どもも多かった。
戦前の日本にも、貧しい子どもや非行の子どもを保護する法はあったが、それは問題を起こした子どもや身寄りのない子どもを取り締まり、救う、という限られたものだった。戦後、占領軍の求めも受けて、政府はすべての子どもを対象にした新しい法の準備を始めた。
1947年12月12日に公布された児童福祉法は、第1条で、すべての国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、かつ育成されるよう努めなければならず、すべての児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならないと定めた。第2条で、国と地方の自治体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負うとした。法は、18歳未満のすべての子どもを対象とし、児童相談所や保育所、乳児院、養護施設などの仕組みを定めた。
1951年5月5日、子どもの日に、児童憲章が定められた。前文は、児童は人として尊ばれる、児童は社会の一員として重んぜられる、児童はよい環境のなかで育てられる、と三つの原則を掲げた。法ではなく、国民の約束として作られたものである。
児童福祉法は、その後、時代に合わせて改められてきた。保育所は、働く親の子どもを預かる場として広がり、高度経済成長の時代に大きく増えた。2016年の改正では、第1条が書き改められ、子どもの権利条約の精神にのっとり、子どもが権利の主体であることがはっきりと書き込まれた(子どもの権利条約)。