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Event / できごと

ボーイスカウトの始まり

Brownsea Island Scout camp
AD1907年8月1日 – AD1907年8月9日
期間を持つできごと重要度 3
大英帝国ロシア帝国グリーンランドオスマン帝国ドイツ帝国アラビアポルトガル帝国エジプトスウェーデン=ノルウェーオーストリア=ハンガリー帝国フランススペイングレートブリテン及びアイルランド連合王国アルジェリアモロッコイタリアルーマニアアイスランドチュニジアブルガリアギリシャデンマークセルビアボスニア・ヘルツェゴビナAD1907年8月1日ブラウンシー島
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1907年8月1日の版図を描いています(24勢力)。

概要

イギリスの軍人ロバート・ベーデン=パウエルは、南アフリカのボーア戦争で、包囲された町マフェキングを7か月守り抜いて英雄になった。包囲の間、少年たちを伝令や見張りに使った経験から、野外の生活で少年を鍛える方法を考えた。1907年8月、彼はイングランド南部のブラウンシー島に、階層の違うおよそ20人の少年を集めて、キャンプを開いた。少年たちは小さな班に分かれ、火のおこし方、追跡、救急法を学んだ。翌年出した『スカウティング・フォア・ボーイズ』は大評判になり、ボーイスカウトの運動は世界に広がった。1910年には少女のためのガールガイドも生まれた。

場所

ブラウンシー島
50.69°N -1.97°E · イギリス・ドーセット(プール湾)

本文

ロバート・ベーデン=パウエルは、1857年にロンドンで生まれ、インドやアフリカで軍人として勤めた。偵察の名手として知られ、兵士のための偵察の手引き書も書いた。1899年に南アフリカでボーア戦争が始まると、彼は小さな町マフェキングの守りを任され、ボーア人の大軍に囲まれながら、217日にわたって町を守り抜いた。包囲が解かれた知らせに、イギリスの本国は熱狂し、彼は国民の英雄になった。包囲の間、町の少年たちは「見習い隊」として、伝令や見張り、手紙の配達を担い、その働きぶりはベーデン=パウエルに強い印象を残した。

帰国したベーデン=パウエルは、自分の偵察の手引き書が、少年たちの間で読まれていることを知った。当時のイギリスでは、都市の貧しい少年たちの体の弱さや非行が心配されていた。ボーア戦争では、兵士に志願した若者の多くが体格の悪さで不合格になった。彼は、野外の生活と遊びを通じて、少年たちに自分で考え行動する力と、仲間と協力する心、社会に尽くす気持ちを育てる方法を考えた。

1907年8月1日、ベーデン=パウエルは、イングランド南部のプール湾に浮かぶブラウンシー島で、試しのキャンプを開いた。集まったのは、上流の寄宿学校の少年と、近くの町の労働者の家の少年など、およそ20人だった。少年たちは、数人ずつの班に分かれ、班長を中心に、テントを張り、火をおこし、料理をし、動物の足跡を追い、結び方や救急法を学び、夜には焚き火を囲んで話を聞いた。

1908年、ベーデン=パウエルは、この経験をもとに『スカウティング・フォア・ボーイズ』を、はじめは隔週の冊子として出した。本は爆発的に売れ、イギリスじゅうで少年たちが自分たちで班を作り始めた。運動はたちまち世界に広がり、1910年には少女のためのガールガイドが作られた。日本でも大正のころから少年団が各地に作られ、1922年に全国の連盟ができた。

ボーイスカウトは、軍隊式の規律や、帝国のための兵士づくりだという批判も受けた。それでも、「備えよ常に」を合言葉に、自然の中で自分の力を試し、毎日一つ善いことをするという運動は、世界の百数十の国と地域に広がり、数千万人の子どもと若者が参加している。

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