概要
イギリスの軍人ロバート・ベーデン=パウエルは、南アフリカのボーア戦争で、包囲された町マフェキングを7か月守り抜いて英雄になった。包囲の間、少年たちを伝令や見張りに使った経験から、野外の生活で少年を鍛える方法を考えた。1907年8月、彼はイングランド南部のブラウンシー島に、階層の違うおよそ20人の少年を集めて、キャンプを開いた。少年たちは小さな班に分かれ、火のおこし方、追跡、救急法を学んだ。翌年出した『スカウティング・フォア・ボーイズ』は大評判になり、ボーイスカウトの運動は世界に広がった。1910年には少女のためのガールガイドも生まれた。
場所
50.69°N -1.97°E · イギリス・ドーセット(プール湾)
本文
ロバート・ベーデン=パウエルは、1857年にロンドンで生まれ、インドやアフリカで軍人として勤めた。偵察の名手として知られ、兵士のための偵察の手引き書も書いた。1899年に南アフリカでボーア戦争が始まると、彼は小さな町マフェキングの守りを任され、ボーア人の大軍に囲まれながら、217日にわたって町を守り抜いた。包囲が解かれた知らせに、イギリスの本国は熱狂し、彼は国民の英雄になった。包囲の間、町の少年たちは「見習い隊」として、伝令や見張り、手紙の配達を担い、その働きぶりはベーデン=パウエルに強い印象を残した。
帰国したベーデン=パウエルは、自分の偵察の手引き書が、少年たちの間で読まれていることを知った。当時のイギリスでは、都市の貧しい少年たちの体の弱さや非行が心配されていた。ボーア戦争では、兵士に志願した若者の多くが体格の悪さで不合格になった。彼は、野外の生活と遊びを通じて、少年たちに自分で考え行動する力と、仲間と協力する心、社会に尽くす気持ちを育てる方法を考えた。
1907年8月1日、ベーデン=パウエルは、イングランド南部のプール湾に浮かぶブラウンシー島で、試しのキャンプを開いた。集まったのは、上流の寄宿学校の少年と、近くの町の労働者の家の少年など、およそ20人だった。少年たちは、数人ずつの班に分かれ、班長を中心に、テントを張り、火をおこし、料理をし、動物の足跡を追い、結び方や救急法を学び、夜には焚き火を囲んで話を聞いた。
1908年、ベーデン=パウエルは、この経験をもとに『スカウティング・フォア・ボーイズ』を、はじめは隔週の冊子として出した。本は爆発的に売れ、イギリスじゅうで少年たちが自分たちで班を作り始めた。運動はたちまち世界に広がり、1910年には少女のためのガールガイドが作られた。日本でも大正のころから少年団が各地に作られ、1922年に全国の連盟ができた。
ボーイスカウトは、軍隊式の規律や、帝国のための兵士づくりだという批判も受けた。それでも、「備えよ常に」を合言葉に、自然の中で自分の力を試し、毎日一つ善いことをするという運動は、世界の百数十の国と地域に広がり、数千万人の子どもと若者が参加している。