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Event / できごと

アルメニアのキリスト教国教化

Armenia adopts Christianity
AD301年(伝承)
重要度 4

概要

王ティリダテスが13年獄に入れた男に癒され、洗礼を受けた。国としてキリスト教を採った最初。ローマの12年前。アルメニアはそれから、ペルシアともローマとも別の教会を持ち、自分の文字を作り、1700年その信仰で残った。

場所

エチミアジン
40.16°N 44.29°E · アルメニア

関わった人(3)

ティリダテス3世AD250年頃–AD330年頃 · 王啓蒙者グレゴリオスAD257年頃–AD331年頃 · 洗礼を授けたエンヴェル・パシャAD1881年11月22日–AD1922年8月4日 · 責任者の一人

本文

ローマとペルシアの間。アルサケス朝アルメニア。 252年頃、ササン朝が王ホスロフを暗殺させた。アナクというパルティア人が。 息子ティリダテスはローマへ。アナクの息子グレゴリオスはカッパドキアへ、キリスト教徒として育った。

287年、ティリダテスがローマの兵で戻り、グレゴリオスが仕えに来た。 アナヒト女神の祭りで花輪を捧げることを拒んだ。 「お前の父は私の父を殺した」。 ホル・ヴィラプ、「深い穴」。13年。寡婦がパンを投げ入れた。 アララトの麓に、いま修道院がある。

リプシメ。ローマから逃げてきた処女たち。王が求めて拒まれて殺した。37人。 王は狂い、猪になって森を走った。 妹が夢を見た。「穴の中の男」。出された。骨だけ。祈った。王は治った。 301年、王と軍と民が洗礼。

アガタンゲロス。5世紀の史書。伝説が多い。年も301年か314年か。 314年ならローマの後。アルメニア教会は301年を取り、1700年を2001年に祝った。

エチミアジン。「独り子が降りた所」。 グレゴリオスが幻でキリストが金の槌で地を打つのを見た。303年、大聖堂。 405年、マシュトツの36文字。聖書を訳した。 451年、カルケドン公会議。アルメニアはその年ペルシアと戦っていて行かず、認めなかった。 コプト、シリア、エチオピアと同じ、非カルケドン派。1700年、自分の教会。

グレゴリオスの家が総主教を継いだ。息子アリスタケスはニカイアに出た。 1915年。「キリスト教徒だから」が理由の一つだった。 アララトはトルコ側。エチミアジンから見える。

同じ時代のできごと

陳寿『三国志』AD285年頃八王の乱AD291年四分統治の開始AD293年アクスムの紅海交易AD300年頃ディオクレティアヌスの最高価格令AD301年ディオクレティアヌスの大迫害AD303年2月23日五胡十六国304年ミルウィウス橋の戦いAD312年10月28日