概要
本名は平岡公威。東京の官僚の家に生まれ、東大法学部から大蔵省へ。9か月で辞めて『仮面の告白』を書いた。『潮騒』『金閣寺』、ボディビル、映画、自ら作った民間の組織「楯の会」。最後の長編を書き終えた日に、市ヶ谷で割腹した。45歳。
所属
日本関わったできごと(2)
三島由紀夫『仮面の告白』AD1949年7月 · 作者三島事件AD1970年11月25日 · 当人本文
三島由紀夫は、本名を平岡公威という。1925年、東京の四谷で、農商務省の官僚の家に生まれた。幼いころは祖母のもとで、外で遊ぶことをほとんど許されずに育ち、学習院で早くから文才を認められた。16歳のとき、三島由紀夫の筆名で最初の作品を発表している。
戦争の末期に召集されたが、軍医の診断で即日帰郷となり、戦場には行かなかった。このことは、のちの三島の心に長く引っかかり続けたと言われる。東京帝国大学の法学部を出て1947年の暮れに大蔵省に入ったが、翌年には辞め、1949年に『仮面の告白』を書き下ろして注目を集めた。
その後、『潮騒』(1954年)、『金閣寺』(1956年)と話題作を次々に書き、戯曲や評論も手がけた。若いころの病弱な体を嫌ってボディビルで体を鍛え、映画に主演し、写真集のモデルにもなった。作品は海外でも翻訳され、ノーベル文学賞の候補に何度も名前が挙がった。
1960年代の後半から、天皇と日本の伝統を守ることを強く唱えるようになり、1968年に学生を集めて民間の組織「楯の会」を作った。1970年11月25日、四部作『豊饒の海』の最後の原稿を出版社に渡したその日に、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で決起を呼びかけ、割腹して死んだ。45歳だった。