マルケルス
概要
ガリアの王を一騎打ちで倒し、ノラでハンニバルに初めて勝ち、シラクサを2年囲んでアルキメデスを死なせた。「ローマの剣」。5度執政官。偵察に出て伏兵に殺され、ハンニバルは遺灰を息子に送った。
所属
ローマ関わったできごと(1)
シュラクサイ攻囲とアルキメデスの死BC212年 · ローマ側の指揮本文
マルクス・クラウディウス・マルケルスは紀元前270年ごろの生まれで、ローマの名門クラウディウス氏のうち、平民の家系に属した。若いころから戦場で名を上げ、プルタルコスの伝記によれば、一騎打ちを挑まれて断ったことがなく、挑んできた相手はみな倒したという。ギリシアの学問を尊んだが、戦に明け暮れて、それを学ぶ暇はなかったとも書かれている。

彼の名を一躍高めたのは、紀元前222年、初めて執政官になった年のガリア人との戦いである。北イタリアのクラスティディウムで、マルケルスはガリア人の王ウィリドマルスと馬上で一騎打ちをして討ち取り、その武具をはぎ取った。敵の総大将を指揮官自身が討って得た武具は「スポリア・オピマ」と呼ばれ、ローマ最高の名誉とされた。伝承では、それを得たのは建国者ロムルス、紀元前5世紀のコッスス、そしてマルケルスの三人だけである。マルケルスは武具をユピテル・フェレトリウスの神殿に捧げた。
紀元前216年、カンナエの戦いでローマ軍はハンニバル・バルカに壊滅させられ、南イタリアの町々が次々にカルタゴ側へ寝返った。このときマルケルスは、生き残った兵をまとめてカンパニアの町ノラに入り、攻め寄せたハンニバル軍を城門から打って出て退けた。大きな会戦ではなかったが、カンナエの後、ハンニバルに初めて土をつけた戦いとしてローマ人を勇気づけた。マルケルスはその後もノラの近くで何度かハンニバルと戦っている。

ハンニバルとの正面の決戦を避けて相手を疲れさせるファビウスの持久戦を説いたファビウス・マクシムスと、機を見ては攻めかかるマルケルス。哲学者ポセイドニオスは、ローマ人は前者を「ローマの盾」、後者を「ローマの剣」と呼んだと伝えている。二人は第二次ポエニ戦争の前半、交互に執政官を務めて国を支えた。
紀元前214年、マルケルスはシチリアへ送られた。ローマの忠実な同盟者だったシラクサの王ヒエロン2世が死に、後を継いだ孫の周りでカルタゴ派が力を握ったからである。紀元前213年、マルケルスは陸と海からシラクサを囲んだ。2隻の船をつないで巨大な梯子を立てる「サンブカ」で海側の城壁に迫ったが、そこに立ちはだかったのがアルキメデスだった。城壁からは大小の投石機が石を降らせ、鉤のついた腕が船首をつかんで吊り上げ、海に落として沈めた。マルケルスは、アルキメデスは自分の船を杯がわりにして海の水を汲んでいる、と冗談を言ったとプルタルコスは書く。鏡で日の光を集めて船を焼いたという話は、何百年も後の作家が書いたもので、確かではない。

力攻めをあきらめたローマ軍は包囲を続け、紀元前212年、町がアルテミスの祭りで気が緩んだ夜に、手薄な城壁を乗り越えて入った。町は略奪にさらされ、その混乱の中でアルキメデスも兵に殺された(シュラクサイ攻囲とアルキメデスの死)。図形を描いて考えごとをしていたところを斬られたと伝えられ、「私の円を乱すな」という言葉は、さらに後の時代に付け加えられたものである。プルタルコスによれば、マルケルスはその死を深く悲しみ、殺した兵を罪人として扱い、アルキメデスの親族を探し出して手厚く遇した。
マルケルスはシラクサの彫像や絵画を大量にローマへ運んだ。元老院は正式の凱旋式を認めず、小凱旋式にとどめたが、その行列には戦利品の美術が連なった。ギリシアの美術がまとまってローマに入ったのは、これが最初だとされる。民衆は喜んだが、保守的な人びとは、ローマ人に美術を眺めて暮らす怠惰と贅沢を教えたと非難した。のちの大カトーもその一人で、ローマの文化がギリシアにどう向き合うかという長い論争は、ここに始まると言ってよい。

マルケルスは生涯に5度執政官に選ばれた(紀元前215年の就任は凶兆を理由に辞している)。紀元前208年、5度目の執政官として同僚のクリスピヌスとともに南イタリアでハンニバルと対峙していたとき、二人はわずかな騎兵を連れて、両軍の間の丘の様子を自ら見に出た。そこにハンニバルの騎兵が伏せていた。マルケルスは槍に貫かれて死に、クリスピヌスも深手を負って、まもなく死んだ。60歳を過ぎていた。二人の執政官が一度の小競り合いで失われたことは、ローマにとって大きな打撃だった。
ハンニバルは遺体を見に来て、しばらく黙って立っていたという。その後のことは史料によって違う。プルタルコスは、ハンニバルが遺体を丁重に火葬し、遺灰を銀の壺に入れて金の冠を載せ、息子のもとへ送らせたと書く。リウィウスは、ハンニバルがその場で葬ったとする。ハンニバルがマルケルスの指輪を奪い、それを押した偽の手紙で近くの町サラピアをだまそうとしたが、指輪が敵の手に渡ったと知らされていた町は見抜いた、という話も伝わっている。
マルケルスの家系は続き、子孫のマルケルスはアウグストゥスの姉の子で、娘婿として後継者と目されたが、紀元前23年に若くして死んだ。ウェルギリウスはウェルギリウス『アエネイス』の第6歌で、冥界のアエネアスに、偉大な祖先マルケルスとともにこの若者の姿を見せている。アウグストゥスがその名を冠して完成させたマルケルス劇場は、いまもローマの町なかに残っている。