ヘラクレイトス
概要
古代ギリシア・エフェソスの哲学者。万物は流転し、対立するものは一つだと説いた。難解さから「暗い人」と呼ばれた。
本文
ヘラクレイトスは、紀元前500年ごろに活動した古代ギリシアの哲学者である。小アジア西岸のイオニア地方の港町エフェソスの人で、「万物は流れる」「同じ川に二度入ることはできない」という言葉とともに知られる。ソクラテス以前の哲学者の中でも、もっとも謎めいた一人だ。
生涯についてはほとんど分からない。主な史料は、700年ほどのちに書かれたディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』で、そこに並ぶ逸話の多くは、残された言葉から後世の人が作った話だと考えられている。父はブリュソンといい、エフェソスの名家の出だったらしい。世襲の「王」の称号を弟に譲ったという話があり、少なくとも貴族の家に生まれたことはうかがえる。生没年は紀元前535年ごろから475年ごろとするのが通例だが、これも確かではない。
当時のエフェソスは、リュディア王国を経てアケメネス朝ペルシアの支配下にあった。紀元前499年に始まったイオニアの反乱をダレイオス1世が鎮めたとき、先輩の哲学者たちの町ミレトスは破壊されたが、エフェソスは難を逃れた。タレスが水を、アナクシメネスが空気を万物の元としたミレトスの伝統を受けて、ヘラクレイトスは火を世界の根本に置いたとされる。
彼の考えの中心は、変化と、対立するものの一致だった。冷たいものは温まり、温かいものは冷え、湿ったものは乾く。生と死、目覚めと眠り、若さと老いは、互いに移り変わる一つのものだという。「戦いは万物の父」という言葉も残る。弓や竪琴が弦の張り合いで形を保つように、世界は対立の緊張によってまとまっていると彼は考えた。その世界の筋道を、彼は「ロゴス」と呼んだ。人々は町の城壁を守るように法を守らねばならない、人の法はすべて一つの神の法に養われている、という言葉も残り、のちの自然法の考えの源の一つともみなされる。太陽は日ごとに新しい、という断片もある。プラトンは対話篇『クラテュロス』で、万物は動いて何ものもとどまらない、というのが彼の説だと紹介している。弟子筋のクラテュロスは、同じ川には一度も入れないと言い、ついには語ることをやめて指を動かすだけになったと、アリストテレスが皮肉まじりに伝えている。もっとも「万物は流れる」という言い回しそのものは、6世紀の注釈家が初めて彼に帰したもので、本人の言葉かどうかは疑わしい。
彼は一冊の書物を書き、エフェソスのアルテミス神殿に納めたと伝えられる。本は失われ、他の著者が引用した100あまりの断片だけが残った。言葉はわざと逆説的で、謎かけのようだったため、古代から「暗い人」「謎かけの人」とあだ名された。ソクラテスがその本を読み、分かったところは見事だが、分からないところもきっと見事だろう、ただ底まで潜るにはデロス島の潜水夫が要る、と評したという逸話もある。
人柄は傲慢で人嫌いだったと伝えられる。ホメロスやピュタゴラスを名指しで批判し、優れた市民ヘルモドロスを追放したエフェソスの大人たちは皆首をくくるがよい、と書いた。死に方の話も奇妙である。ディオゲネスによれば、彼は水腫を患い、牛の糞を体に塗って治そうとしたが、そのまま死んだという。魂にとって水になることは死であり、乾いた魂が最善だという彼自身の教えを皮肉った作り話だとみる研究者が多い。
変わり続ける世界という彼の見方は、存在は変わらないと説いたパルメニデスと対比されながら、プラトンやアリストテレス、ストア派に受け継がれた。近代ではヘーゲルが弁証法の先駆けとして高く評価し(ヘーゲル『精神現象学』)、ニーチェも深い共感を寄せた。笑う哲学者デモクリトスと対にされ、「泣く哲学者」として絵画に描かれることも多い。