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Event / できごと

貞観の治

Reign of Zhenguan
AD627年
重要度 5

概要

太宗の23年。「創業と守成、いずれが難きか」。魏徴が200回諫め、太宗が聞いた。「君は舟、民は水」。人口が戻り、米が安く、死刑が29人の年があった。『貞観政要』。日本の天皇も徳川家康も読んだ。年号が理想の政治の名になった。

場所

長安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安

関わった人(2)

唐の太宗AD598年–AD649年 · 皇帝魏徴AD580年–AD643年 · 諫めた

本文

626年。玄武門。 「兄と弟を殺した」。 「父を、退けた」。 627年。「貞観」。 「貞は正、観は示す」。『易』。 「創業と守成」。 房玄齢。「創業」。魏徴。「守成」。 「私は、両方を、見た」。 「君は舟、民は水。水は舟を載せ、また舟を覆す」。『荀子』。魏徴が引いた。 「三鏡」。「銅を鏡とすれば衣冠を正せる。古を鏡とすれば興替を知れる。人を鏡とすれば得失を明らかにできる」。 「魏徴が死んで、私は一つの鏡を失った」。 「均田。租庸調。府兵」。 「科挙」。 「州県を減らした」。 「630年、東突厥。『天可汗』」。 「635年、吐谷渾。640年、高昌。641年、文成公主」。 「死刑。630年、29人」。 「632年、死刑囚390人を、家に帰した。秋に戻れ。全員、戻った」。 「『貞観政要』。呉兢。720年頃。10巻40篇」。 「太宗と臣下の問答」。 「玄宗に、と」。 「日本。9世紀。菅原是善が講じた。後醍醐。足利義満。家康。『貞観政要』を、藤原惺窩に講じさせた」。 「『貞観政要』は、日本で、中国より、読まれた」。 「太宗は、自分の記録を、見せろと言った。褚遂良が拒んだ。『玄武門を、どう書いたか』」。 「見た。『周公が管蔡を殺したのと同じだ。隠すな』」。 「そう書かせた」。 「貞観の治は、太宗が、書かせた」。 「それでも、23年、戦争が少なく、法が軽く、諫言が通った」。 「645年、高句麗」。 「『魏徴が生きていれば』」。 「649年、死んだ。51歳。丹薬」。 「貞観」。 「理想の治世の名」。 「日本の年号にも。859年」。 「宋の太祖も、清の康熙も、『貞観』を手本に」。

同じ時代のできごと

遣隋使AD607年大運河の完成AD609年ヘラクレイオスの治世610年薩水の戦いAD612年コルンバヌスのボッビオAD614年唐の成立AD618年ヒジュラ(聖遷)AD622年イシドルス『語源』AD630年頃