概要
貞観の治と呼ばれる安定を作った。長安は当時の世界で最大級の国際都市になる。
所属
唐関わったできごと(5)
唐の成立AD618年 · 基礎を固めた玄武門の変AD626年7月2日 · 殺した側貞観の治AD627年 · 皇帝文成公主の入蔵AD641年 · 送った安市城の戦いAD645年 · 退いた本文
兄と弟を殺して即位した。
玄武門の変になる。 父を退位させて位に就いている。
その始まり方が、 その後の統治への評価を複雑にしている。
「貞観の治」と呼ばれる安定を作った。
やったことで際立つのが、 諫言を受け入れたことになる。
魏徴という臣下が、 面と向かって200回以上諫めたと記録される。
その言行が『貞観政要』にまとめられ、 東アジアの帝王学の教科書になった。 日本でも、北条政子から徳川家康まで読んでいる。
魏徴が死んだとき、 「人を鏡とすれば得失が分かる。 私は一つの鏡を失った」と言ったと伝わる。
一方、高句麗遠征は失敗している。
長安は、当時の世界で最大級の国際都市になった。