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Person / 人

王弼

Wang Bi
AD226年 – AD249年(享年23・推定)
重要度 4

概要

『老子注』『周易注』『論語釈疑』。「無」。「言は意を尽くさず。意を得て言を忘れる」。何晏が「後生畏るべし」。24歳で死んだ。曹爽が高平陵で倒れた年。彼の『老子』と『周易』の注は、それから1800年、教科書。24歳で。

所属

関わったできごと(2)

正始の音(玄学の始まり)AD240年 · 老子注竹林の七賢AD260年頃 · その前に正始の音

本文

山陽高平(山東)。母方の曾祖父は劉表、『後漢書』の范曄の遠縁。父は王業。家に蔡邕の蔵書が来ていた。

10代で『老子』を語り、何晏が会って言った。「仲尼は後生畏るべしと言ったが、この人となら天人の際を語れる」。20歳頃で『老子注』『周易注』『周易略例』『論語釈疑』。

「無」。天地万物は「無」から生まれる。無は語れない。「聖人(孔子)は無を体得している。無は教えられない。だから聖人は有を語った。老子は無をいつも語った。だから老子は有の側の人だ」。孔子を老子の上に置いた。儒教と道家をつなぐ論理。

『周易』の解釈から漢代の象数(卦の形の数の計算)を捨て、義理(意味)で読んだ。「意を得て象を忘れ、象を得て言を忘れる」。『荘子』の筌蹄の比喩。

曹爽の政権で尚書郎になったが、うまくいかなかった。人付き合いが下手で、人を見下し、名門の子弟に嫌われた。249年、曹爽が高平陵で司馬懿に倒され、何晏が殺され、王弼は職を失った。同じ年の秋、病気で死んだ。24歳。子はなかった。

『老子注』は現存最古の『老子』注の一つで、『老子』の本文は1000年以上、王弼本で読まれた。『周易注』は唐の『五経正義』で正統になった。24歳で書いたものが、中国の経典の読み方を決めた。